デンマーク映画 (1991)
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あらすじ
映画の冒頭、大人になった主人公グスタフ・アドルフの声で、長いナレーションが入る。「雨が降ると、眼鏡の裏にいつも一滴のしずくが残る。私の片方の目の下に、一筋の “しわ” がある。かつての私に顔には “しわ” などなく滑らかで、背丈も今の脚の高さほどしかなかった。そして、どこまでも無垢だった。1935年の夏、私が7歳になるまでは、この世で最も無垢な子供だったと思う。ずっと後になって、私はこう思った。『嘘があるなんて、なんて幸せなことなんだろう。もし、ほとんどなにもかもすべて真実だったらどうなるんだろう』、と」。なかなか面白い最後の言葉のあと、古びた貧し気なアパートの裏にある階段で、まだ10代のアルマが、ほとんど服を着たまま立ってセックスをしている。それを “邪魔者監視役” のグスタフが階段の手すりから見ている(1枚目の写真)。「私はアルマが他人とこうしてつき合うのが好きではなかったが、それを態度には出さなかった。彼女を失うのが怖かったし、彼女の柔らかな太ももに顔を押し当て、毛糸とデニッシュ〔菓子パン〕、そして、おしっこの混じった温かい匂いを嗅ぐたびに高まっていく あの痺れるような感覚が、私を彼女に強く結びつけていた。だから、彼女が私の面倒を見てくれる時、私は見張りをして、デニッシュや5オーレ硬貨をもらっていた」。男が僅かなお金を渡して去って行くと、アルマはグスタフの所に行くと、「私の顔に煤ついてる?」と訊く。「うん、そこ」。次のシーンでは、見張りをしていてもらったデニッシュを裏口に座って食べていると、アルマは、壁にゴムボールを投げて遊んでいる。すると、同じように裏口にいた、アルマより年下の少年が、いきなりアルマのスカートをめくり上げ(2枚目の写真、矢印はグスタフ)、アルマに頬を引っ叩かれ、「売春婦!」と怒鳴って逃げて行く。その言葉の意味が分からないグスタフは、自分より少し上の少年が、アルマに叩かれたのを見て笑い始める。アルマは、「売春婦」を笑ったのかと誤解してグスタフを睨むが、なぜ睨まれたか分からずにいる素直なグスタフの顔(3枚目の写真)を見た、アルマは、「この子なんにも分かってない」と気付き、薄っすらと笑みを浮かべる(4枚目の写真)。

その日の夕食の時間。料理はデンマークでよく食べられる豚肉のレヴェルズベン(Revelsben、骨付きのバラ肉)。父のアクセルは、歯で骨にかぶりついて肉を掻き取っている(1枚目の写真)。母:「あんた、本当に骨付き肉をきれいに食べるわねえ」。父:「俺にできないことなんて、何かあるかよ?」。「ないわよ、何ひとつね。どうしてそんなこと思うのさ?」。「歯がいいからな。見ろ!」。「あんたは、本当、いい歯をしてるわよ」。「俺の歯に文句を言える奴なんて、どこにもいねえよ」。「グスタフ・アドルフとあたしじゃ、そうはいかないわ。あたしたち、骨付き肉はあんまり得意じゃないもの」。それを聞いたアクセルは、肉の多いところを2つに割いて差し出しながら、「ほら見ろ。これなら骨のねえ、上等な肉だ」と言って2人に渡す。「あんたって本当に優しいわね、アクセル」。それでも、その肉片(?) には骨がいっぱい残っていて、グスタフが噛み付いてもなかなか食べられない(2枚目の写真)。そのあと、母は、彼女が働いている麻袋工場でも、当時流行り始めた 「泳いで、砂浜で日焼けする」ことを数人が始めたと話す。それを聞いた父は、「お前は自分が何を言ってるのか、ちっとも分かっちゃいねえんだ。あんな真似をする連中はな、自分から最悪の危険に身をさらしてるようなもんだ」と言う。「だって、みんな楽しんでやってるみたいよ?」。「楽しんでるだと?」。「それが『モダン』ってやつよ」。「神経痛になっちまうぞ」。「お日様は温かいじゃないの」。「氷みたいに冷てえ水の中に入っていくんだぞ。それで今度はサハラ砂漠のラクダみたいに砂の上に寝そべるんだ」(3枚目の写真)。ここから、父の過去の話が始まる。「おい。太陽の光に身をさらすなんてな、俺が昔パンパス〔南米の草原〕で働いてた時と同じだ。だが、あの時の俺たちは必死で太陽を避けようとしてた。お日様ってのはな、少しずつ浴びるもんだ」。ここで、ナレーション。「もし父が言う通り、太陽の光がそこまで危険なものでも、私たちは安全に暮らしていた。太陽の光が私たちの家に届くことは、決してなかったからだ。向かいの家のいちばん上の窓に、時折、太陽が反射するくらいだった」「私の父は特別な存在だった。鍛冶屋で、子供の足では歩いていけないほど離れたアマー島で働いていた」(4枚目の写真)「父は世界で一番大きく、強い男だった。そして、もう50歳近く、子供の目には、ひどく年老いて見えた。父はほとんどすべてのことについて何でも知っていたし、私の母が何も知らないことも知っていた」。

次のシーンでは、父がキッチンの真ん中に置かれたズィンクバライェ(Zinkbalje、亜鉛メッキの洗濯タライ、タライ風呂)で、体、頭、顔を洗っている(1枚目の写真)〔かなり非衛生的〕。そのあと、母は、居間に行くと、裁縫を始める。「私の母も特別な存在だった。フュン麻袋会社で働いていて、話し方もみんなとは違っていた。スコーネ〔スウェーデン南部、だから母はデンマーク人ではない〕のローストンガ(Röstunga)村出身で、まるで映画スターのように美しかった」。この直後、居間の壁の話に変わる。「壁にはパンパやアンデス山脈の写真が飾られていて、そこで彼は最大の危険にさらされたのだという。彼はそこに3年暮らしていた。時には、5年だったと言うこともあった〔そのくらい、話がいい加減〕。私は彼の話を、何度でも繰り返し聴くことができた」。父:「俺なんか丸1ヶ月、ブドウだけで生き延びたんだぞ。俺のあばら骨は柵のようだった。まともな正気を保ったまま、よく生きて帰ってこれたもんだと自分でも思うぜ。あれに比べりゃパンパスにいた頃はいい時代だったな」。ナレーション:「彼のパンパ仕込みの笑顔は、私の心に深く染み付いていた」。父は「俺たちは、一番近い町まで馬を飛ばして、売春宿(bordellerne)へ繰り出したもんだ」と言い、グスタフは、「『売春宿』って なに?」と訊く(2枚目の写真)。母は「女の人のためホテルよ」と答える。「そいつは上出来だな、スヴェア」。「子どもの前でそんな話はダメよ。この子はまだたったの6歳なんだから」。「はいはい。あっちじゃそんなの、みんな当たり前だったんだよ。真昼間になるとな、そこらの店が全部2時間ばかし閉まっちまうんだ。そしたら男どもは、市長を先頭にしてゾロゾロとそこへ繰り出したのさ」。そして、話は続き、つまらなくなったグスタフが、「ねえ、人間の肉を食べた時の話をしてよ」と言い出す。母は「ダメ、その話だけはやめて!」と止めるが、父は 「なあに、このチビ助も強くなって、世の中でどんな目に遭うかを知らなきゃいけねえんだよ」と言うと、「最後に生き残ったのは、俺たちたったの二人だけだった。食べるものは何ひとつ残っちゃいねえ。そしたら、そいつがスペイン人でな。死んだ奴の一人を食おうって言い出しやがったんだ。父:俺たちは一番脂の乗った奴を選んだ。船長だ」と、何度目の同じ話をし、「そいつがどんな味がしたか分かるか?」と訊く。グスタフは、さっそく、「ニワトリの肉みたいに甘いんだよね」と言い、父から、「このチビ助、すごい記憶力だ。天才のタマゴだな」と褒められ(3枚目の写真)、笑顔で「うん!」と言う。母:「それって、恐ろしいことよ」。父:「何言ってんだ? もしあの時、俺が食ってなきゃ… 俺は死んでたんだぞ」。そして、「こんな俺を欲しがったのはお前の方じゃなかったか?」とも。「子どもができちゃったからじゃないの? でも、結婚したのはそれから2年も経ってから!」。「男にだって、少しくらい考える時間は必要だろ?」。そう言うと、「ビールが2、3本欲しいな」と言い、グスタフがバーまで買いに行かされる(4枚目の写真、矢印)。

ナレーション:「私の世界にいたのは大人たちばかりだった。家族の中で、子供は私一人だった。けれど、他の子供が恋しいと思ったことは一度もなかった。私は満ち足りていたし、自分たちの部屋から出ることも滅多になかった。そこは薄暗くて、安心できた。私は広い世界を、なるべく避けていたのだ。けれど、リネア叔母さんとエリック叔父さんの家に行く時なら、私は喜んで出かけた。私は二人の家に一週間泊まって、とても可愛がってもらった」。そして、映画館に連れていってもらった時の短いシーンが入る(1枚目の写真)。叔父:「私は家でグスタフと遊ぶ、いいだろ?」。叔母:「もう家には返さないわ」。「そうだとも。この子は私たちのものだ」。グスタフ:「ぼく、母さん、父さんの家に帰らなきゃ」。映画が始まり、叔父は 「スターリンは現代の英雄だ」と言う。グスタフ:あのウィリー〔『ウィリーの冒険(Willy på eventyr)』の主人公〕みたいな?」。「それに、彼は天才だ」〔1930年代前半から始まったスターリンの恐怖政治は、厳しい情報統制により、他国にはほとんど伝わっていなかったので、このように称賛する愚かな労働者がいた〕。家に戻ったグスタフは、自分のアパートの住民について、ナレーションで語る。「私はこのアパートの共同階段沿いの4つの住まいの中で、ただひとりの子供だった。私たちの階下には、エミリーと、小柄で痩せた夫のスクーグンが住んでいた。彼女は薄暗い酒場を営み、わずかな日差しを楽しんだ。彼はアパートの管理人で、健康のためにチーズを食べ、太陽を嫌っていた」(2枚目の写真、矢印はチーズ)。「それから、フレデリクセン夫人がいた。彼女は美しいものが好きだった。他人のものも含めて。父は彼女をクレプトマニア〔万引きをくり返す精神疾患〕だと言った。私はそれが高貴な響きに聞こえた」(3枚目の写真は、彼女が盗もうとしたもの)。「一番下にはユダヤ人たちが暮らしていた。彼らは決して外に出なかった。もし彼らの息子アブラハムが買い出しに行かなければ、彼らはきっと飢え死にしていただろう」(4枚目の写真、矢印は経済学の本)〔ナチスのユダヤ人迫害が激化し始めていた時期〕。

ベッドに入った母は、ファミーリェ・ユアナール(Familie Journal)というデンマークの有名な週刊の新聞・雑誌にある連載のメロドラマ小説を読んでいる。そこには、赤毛の髪の若い女性の絵が、カラー印刷で掲載されている(1枚目の写真)〔カラー印刷は1930年代から普及〕。そして、母は、声を出して小説を読み始める(2枚目の写真)。「マルガレータの手は、微かに強張る彼の腕の上に置かれていた。彼女は声を震わせて、『私のこと、愛してくれているの、ラッド?』と尋ねた。彼は、『愛しい人よ、私が妻になってくれと頼む声が聞こえなかったのか?』と言うと、キスで彼女を黙らせた。その方が、彼女に答えるよりも簡単だったからだ。彼は彼女の口、首、髪、そして白くて小刻みに震えている肩に口づけした。しかし、彼の頭にあったのは彼女ではなかった。それは、赤金色の髪が、まるで後光のように青白い顔を包み込んでいる、一人のうら若き乙女の姿だった。お金目当てでマルガレータにプロポーズするという、今夜のあの行動へ彼を駆り立てたのは、まさにその乙女だった。しかし、その激し過ぎるキスはマルガレータの心に疑念を抱かせた。これは本当の愛なのだろうか、と」。途中で、横に入ってきたマックスが母に触る。グスタフが、「何してるの、父さん?」と訊くと、「くすぐってるのさ」と笑顔で答える(3枚目の写真)。結局、お邪魔虫になったグスタフは追い出され、自分のベッドに横になる。そして、ナレーション。「母の声は、私の耳にはまるで音楽のようだった。すべての意味は分からなくても、私はたくさんの素敵な表現を覚えた。それらは、後の人生で大いに役立つことになる表現だった。大理石のような白い胸。赤金色の髪。『今夜のあの行動へ彼を駆り立てた、まさにその乙女だった』。けれど、明かりが消えたあとに聞こえる物音は、美しい音楽などではなく、あの箱〔あとで登場する〕にまつわるものだった。それはデニッシュや、5オーレ硬貨を意味していた。『情欲に歪んだ唇』(4枚目の写真)〔本物よりもきれいなったアルマ)〕。『彼は彼女の口、首、髪、そして白くて小刻みに震えている肩に口づけした』」。

翌朝、両親のベッドの下に潜って行ったグスタフは、箱の蓋を開け〔前節に出て来た「箱」〕、そこからコンドームを1個取り出す(1枚目の写真、矢印)。次のシーンでは、新たな「客」と一緒にいるアルマが、「これが最後よ」と言って5オーレ硬貨を差し出し、グスタフは、「いつもそう言うね」といいながら、ポケットからコンドームを取り出し、交換する(2枚目の写真、矢印)。アルマは半地下に下りて行き、長い金属製の筒を持った職人も、筒を置いて中に入って行く。グスタフが半地下室の通り沿いの窓から見ると、アルマはいつものことをしている。つまらなくなったグスタフは、男が置いて行った筒を持つと、口を付けて 「アルマ、きれいだ!」と叫ぶ(3枚目の写真)。筒を通った声が響き渡ったので、驚いたグスタフは筒を投げ捨て、ちょうど通りかかった4輪の荷馬車に轢かれて筒が凹む。マズいと思ったグスタフは、元あった場所に筒を戻す。そこに男性が出て来て、立ち去ろうとする。それを見たアルマは、「払わないなら、叫ぶわよ」と言うが、男は 「俺が大金持ちだとでも思ってんのか」と言っただけ。そこで、アルマとグスタフは一緒に悲鳴を上げる。男は走って戻ってくると、お金を渡し(4枚目の写真)、「売春婦」と言って立ち去る。

その日の夕食の席で、グスタフは、父に、「父さん、『売春婦』ってなに?」と訊く(1枚目の写真)。「売春婦?」。笑顔で「うん」。母は、「男の人が大好きな女性のことよ」と、前回、売春宿について訊かれた時と同じように、上手に答える。それを聞いた父も、「そいつは最高に上手いな、スヴェア!」と褒める。しかし、前回と違うのは、母が、「それなら、もうその話は終わりにしましょう」と、ある意味、余分なことを言ってしまったこと。これが、グスタフに新たな疑問を起こさせる。「だけど… 母さんは父さんのことが好きだよね。それに、おじいちゃんも。エリック叔父さんも。ぼくのことも」。母は、「でも、あたしは、あんたが今言ったような人間じゃない。だから、この話は、もう おしまいよ」ときっぱり否定する。父も、「お母さんは決して売春婦なんかじゃない。実に素晴らしい女性だ」と、援護する。母は、さらに、グスタフが持っている5オーレ硬貨を取り上げ、「それ、どうしたの?」「どこでもらってきたの?」のくどくど訊く(2枚目の写真。矢印)。結局、母は、食卓で1人きりになった後も、硬貨を手にして、なぜこうなったかをじっと考える(3枚目の写真、矢印)。そして、推論が確定すると、硬貨を床に投げ捨てる。夜、ベッドで横になったグスタフの映像と同時に、ナレーションが流れる(4枚目の写真)。「その時、私は売春婦が何なのかが分かった。そして、アルマ、私が大好きだったアルマは、私の面倒を見ることを許されなくなった」。

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