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The Christmas Miracle of Jonathan Toomey
     ジョナサン・トゥーミーのクリスマスの奇跡

イギリス映画 (2007)

ニューヨーク生まれのスーザン・ウォイチェホフスキ(Susan Wojciechowski)が1995年に出版した非常に短い絵本童話の映画化。それを、1時間半の映画にするには、かなりの想像力を必要としたであろう。そして、その映画化が、なぜかアメリカではなくて、イギリス映画として、イギリス人の俳優を使い、イギリスのシェパートン・スタジオで行われた(映画の舞台はアメリカ)。製作費は資料により異なるが800~1000万ドル〔当時の9~12億円〕〔映画『国宝』の製作費は12億円〕。しかし、場面の数は、①村の通り(1ヶ所のみ)、②森の中、③トゥーミーの家、④伯母の家、⑤元のトーマスの邸宅くらいで、①、③~⑤はスタジオ内で撮影できるので、なぜそんなに製作費が増えたのかは分からない。

原作は、大切な「キリスト降誕セット」を失くしたトーマスが、引っ越した村にいる頑固な木彫り職人のジョナサン・トゥーミーに6種類、計9体の人形を彫ってもらうだけの内容。トゥーミーは、羊、牛、天使、三賢者、ヨセフ、マリアと幼子イエスの順に、何とかクリスマスに間に合うように彫って行く。その際のポイントは、トーマスが将来木彫り職人になりたくて、作業を見たかったこと映画のトーマスには、そのような希望は一切ない〕。厳格なトゥーミーは、作業を見ているのが構わないが、口を聞いたり、動いて音を立てたりすることを強く禁じる。それでも、最初の羊の彫刻の時から、トーマスは思わず口を出す。それは、大好きだった “以前持っていた彫刻” と違うのが我慢ならなくて、ごく丁寧な言い方で、何とか変えてもらうように頼もうとしたから。その頼み方が、回を追うごとに変わり、その “お願い” を受けるトゥーミーの方も、最初の極めて渋々から、最後には、逆に事前にトーマスに訊くようになるまで、態度を軟化させていく。それが、結果的に、陰気な男として嫌われていたトゥーミーが、村人に受け入れられるきっかけとなる、という単純なストーリー。ショートムービーに適した内容だ。それを映画化するにあたり、原作にはなかった 「なぜ、トーマスと母が、貧しくなって村に引っ越して来たか」を、約20分かけて映画の冒頭に入れた。村に来た後も、原作にはない3人の少年少女を登場させ、計10ヶ所のシーンで約10分を増やし、映画の単調さを救った。それに、原作にはない事後談と、エンドクレジットでさらに5分を使ったので、結局、トーマスと母とトゥーミーに関係したシーンは55分になる。それでも随分長いが、あらすじを読めば分かるように、トゥーミーの小屋での作業や会話のシーンを丁寧に見せることで、観客を飽きさせないよう工夫されている。映画は、アメリカのグロリア映画祭で最優秀映画賞を受賞した。因みに、現在市販されている「キリスト降誕セット」の一例を下に示す。99%の商品は、マリアと幼子イエスが別々になっている。それは、「マリアとヨセフがベツレヘムに向かう途中、宿屋が満室で泊まる場所がなく、家畜小屋〔馬小屋と書かれているのは間違い〕でイエスが誕生し、飼い葉桶に寝かされた。家畜小屋には小動物がいて、小羊や小ロバに囲まれてこの世に生を受けた。その夜、主の天使が神の御子主イエス・キリストの誕生を羊飼いたちに知らせ、東方の博士たち(賢者)が新しい星に導かれて訪れ、黄金、乳香、没薬を捧げた」という『ルカによる福音書』の記述に従ったから。しかし、中には、もう一つ下に示したように、原作映画のように、マリアが幼子イエスを抱いたものも存在する。

あらすじを書くにあたっては、重要な場面で、映画の台詞と、原作台詞記述を対比して表示し、類似や違いを明確にするため、双方の英文も表示した。そのため、非常に読みにくくなったが、こんなサイトは他にはないので、我慢して読んで欲しい。英語が好きな人には、参考になるかも。映画原作の双方を訳していて、今回ほどAIが役に立ったことはない。文章を入力すると、その文章が何を言いたいのか、そのニュアンスまで解説してくれるので、非常に助かった。例えば、トゥーミーが最初に彫り始めた羊に対し、トーマスが 「あなたは僕の羊を間違って彫っています」と丁寧に間違いを指摘する時の台詞は 「you’re carving my sheep wrong」 だが、その意味をAIに問うと、『you’re carving my sheep wrong』 という言葉は、子供向けのクリスマスの本、『ジョナサン・トゥーミーのクリスマスの奇跡』 から来ています」、とまず指摘され、次に、「意味と背景」 として、「物語の中で、トーマスという少年が木彫り職人のトゥーミーさんに、失われたキリスト降誕セットの代わりを依頼します。この言葉は、トーマスが木彫り職人の作品を見て、具体的で真摯な訂正を申し出る場面で使われます」と、この言葉が使われている状況がまず示される。そして、この言葉の持つ3つの意味が説明される。「①逐語的な意味: トーマスは、羊は解剖学的な観点では正しく 『毛が素敵にカール』 しているが、『幸せそうに見えない』 ので、間違っていると意義を唱えます」。「②神学的な意味: トーマスは、羊たちが 『幼子イエスと一緒だと知っていた』 から、『幸せそうに見えるはず』 だと説明します。これにより、焦点は彫像の技術的な完璧さから、感情に訴える 信仰上の重要性へと移ります」。「③象徴的な意味: この言葉は、辛い体験をした大人に、喜びと希望のレンズを通して世界を見直すよう教える 子供の純真さと信念を表していますと答えてくれる。完璧な分析だが、どこから引用したのだろう? 引用先をきちんと表示すべきではないかと、思ってしまう。

トーマス役は、ルーク・ウォード・ウィルキンソン(Luke Ward-Wilkinson)。1993年8月7日にケンブリッジで生まれた。2006年の撮影なら13歳だが、もっと幼く見える。顔のアップがこれほど多い映画も珍しい。2005-2007年にかけての連続TVドラマ『The Secret of Eel Island』で主役を務めたのが子役としてのスタート。2つ目は2006-2009年にかけての連続TVドラマ『Wild at Heart』での主要な脇役、そして、3つ目がこの映画、その後も、連続TVドラマ『Shape』(2008、端役)、連続TVドラマ『Beautiful People』(2008-2009、主役)と、TV出演が続く(2015年で俳優業を終える)。

あらすじ

映画の冒頭、森の中の道を、1台の幌付き荷馬車が一軒の小さな家に向かうところが映る(1枚目の写真)。家の前で馬車を停めると、一人の男が荷台から大きなトランクボックスを取り出して家の中に運び入れる。男は、トランクボックスを作業台の上に置くと蓋を開け、一番上に置かれた花の刺繍が施された白い布を大切に取り出す。次に運び入れたのは、2脚の椅子。1つは普通のひじ掛けの付いた木の椅子、もう1つは、木の揺り椅子。椅子は、暖炉の前に向かい合って置かれる(2枚目の写真、矢印は揺り椅子)。すると、暖炉に火が燃え、揺り椅子に、赤ちゃんを抱いた妻が乗っているシーンに変わる。そこに、男が近寄って行き、反対側の椅子に向かい合って座る(3枚目の写真)。しばらくすると、妻と赤ちゃんは消え、左側の椅子に座った男は悲しそうにうつむく。そして、馬車のいなくなった家の全景が映り、映画のタイトルが表示される。1995年に出版された挿絵付きの児童本(原作)では、「数年前、ジョナサン・トゥーミーが若く、活力と愛情に溢れていた頃、彼の奥さんと赤ちゃんは重い病気にかかりました。その当時は病院も薬も専門医も存在しなかったため、奥さんと赤ちゃんは3日違いで亡くなりました。ジョナサン・トゥーミーは持ち物を幌馬車に積むと、涙が止まるまで旅を続けました。そして、木彫りをして暮らそうと、村の外れの小さな家に住むことにしました」と書かれている。

原作では、少年トーマスの一家について、母が 『私は未亡人のマクダウェルです。私はこの村に来たばかりです。これは息子トーマスですと話すだけで終わっているが、映画では、最初の約20分弱を使って、なぜトーマスと母が、この村に来たかが描かれる。その最初のシーンは、トーマスの一家3人が済む立派な邸宅の中で、客を招いて行われているクリスマスのパーティ(1枚目の写真)。そのシーンの最後は、トーマスと父が、この一家にとってクリスマスで一番大切な「キリスト降誕セット」の人形9体を仲良く並べている姿(2枚目の写真)。並べ終わったセットの全体が映され(3枚目の写真)、監督名が表示される。

そして、時期は冬から春~夏に変わり、軍服を着た父に、トーマスが抱き着いて別れを悲しむ(1枚目の写真)。第一次世界大戦へのアメリカの参戦は1917年4月6日。5月18日に「1917年選択徴兵法」が制定され、280万人が徴兵され、約5万3000人が戦死した〔1.9%〕。父の徴兵がいつかは分からないが、冬から春~夏に変わっただけなので、1918年ではなく1917年であろう。原作の設定は19世紀の前半。そして、次のシーンは、恐らくそれから1年以上経った1918年の秋〔終戦は11月11日〕であろう。父がいなくなった邸宅のキッチンの中央にあるテーブルに、大きなクッキーを6つ入れた角皿が置いてある。学校から帰ったトーマスが、キッチンに入って来てクッキーを取ろうとすると、家政婦が角皿を素早く取り上げて渡さない。「一つだけ」と、トーマスが言うと、「これは何ですか?」と言って、大きな陶器のボールに入った物を見せる(1枚目の写真、左に矢印は角皿、右の矢印はボール)。「混凝紙(こんくりがみ)〔papier-mâché、張子(はりこ)の人形を作る時に使われるパルプや古紙・布片などをのりで混ぜて固めたもの〕だよ」。「そんな物が、食器棚の奥にどうしてあるの?」。「学校でやったから、家でもやってみようと思ったの」(3枚目の写真)「ごめんなさい」。優しい家政婦は、自分も子供の頃 張子を作ったことがあるので、「じゃあ、今週末にお面か何か、いくつか作ってみない」と言ってくれる。

そこに入って来た母は、「お父さんから、あなたに手紙が来たわ」と言って、封筒を見せる。トーマスは、封筒を奪うように取ると、居間に持って行き(1枚目の写真、矢印)、その場で座り込み、こっそり奪って来たクッキーを食べながら、中の手紙を読む。ここで、場面は、手紙を書いている父に代わる。「トーマス、元気かい? 学校は順調? ママが、試験でいい成績を取ったって手紙をくれた。良かったな。その調子で頑張れ。すごいぞ。こっちはそんなに悪くない…(省略)…おじさんから野球の試合があるって聞いたよ。ピッチャーが要るな」(3枚目の写真)「私の代わりに、お母さんの面倒を見てくれ。ヒッキー夫人〔家政婦〕には気を配れ。すぐ戻るよ。約束する…(省略)…愛を込めて、パピー」。それを読んだトーマスは、キッチンに行って、テーブルの上で手紙の下書きを書きながら、家政婦に 「おばさんが作るクッキーが最高だって書こうと思うんだ」と言う。「ありがとう。簡単に作れるのよ」。「お母さんには できないんだ」。「他のこと されてるでしょ。私のできないことを」。「どんなこと?」。「地域ボランティアの運営、会社の仕事のお手伝い、家の整理整頓とか」。「でも、料理はすごく下手だよ」。「まさか、お父さんにそのこと書いてないわよね?」。「ないよ」。

その夜、トーマスは祖父の前のテーブルに野球カードを出しながら、「お祖父ちゃん、僕のカード・カレクション見たい?」と訊く(1枚目の写真、矢印はカード)。祖父が 「どんなカードがあるんだ?」と訊いたので、トーマスはテーブルの上にカードを並べ、1枚だけ足りないと話す。そして、全部揃ったら、父に送るとも。その後で、祖父に、「なぜ、先週末は、僕たち試合を見に行かなかったの?」と訊く。「トーマス、ごめんな。事務所で仕事があったんだ」。「いつも働いてるんだね?」。「君のパパさん〔pop〕が戻るまでだ。そしたら、彼が後を継いでくれる」。「僕たち、来週の試合は見に行ける」。「もちろん」。「約束だよ」。「約束する」。トーマスがベッドで横になっていると、母がやって来て、「手紙は書き終えた?」と訊く。「まだだよ。明日やる。なぜ、お祖父ちゃん、いつも疲れてるの?」。「長時間、働いておられるからよ」(2枚目の写真)「あの年齢では、大変なの」。かくして、トーマスは最後の平穏な一夜を過ごす。そして、翌朝、物で溢れたトーマスの部屋が映る(3枚目の写真)。

翌朝、いつもの時間になっても母が起こしに来ないので、服に着替えずに階段を下りて様子を見に行く。そして、応接間のドアを開けると、そこには、椅子に座った母の前に、軍服姿の男性が立っていた(1枚目の写真)。男性の顔が見えないので、喜んで「パピー」と声をかける。すると、振り向いた顔は見知らぬ男性だった。知らない軍人が、早朝母を訪れたというとは、父に何かあったに違いないと悟ったトーマスの顔が曇る(2枚目の写真)。後で母から 父の死を知らされたトーマスは、部屋に戻ると、棚に飾ってあった沢山の玩具の兵隊は腕でなぎ払って床に落とし、野球カードはすべて1枚ずつ半分に裂き、父から来た最後の手紙も くしゃくしゃに丸めて投げ捨て、封筒は2つに裂いて捨てる(3枚目の写真、左の矢印は床に転がった玩具の兵隊、右の矢印は裂かれる封筒)。

夫婦の寝室の真ん中にはトランクボックスと大きな革鞄が置かれている。ベッドの端に座ったトーマスは、母に 「僕たち、どこに行くの?」と訊く。「私たちにとって、ここを離れることは いいことなの」(1枚目の写真)。「行きたくないよ。ここ好きだから」。「向こうも好きになるわ。楽しいわよ」。「まさか」。「ジョアン伯母さんに会って、農作業を手伝って、田舎でクリスマスを過ごすなんて楽しいわ」。それを聞いてトーマスはびっくりする〔クリスマスまで、1ヶ月以上ある〕。「クリスマス?  クリスマスも、そこにいるの?」。ここで、母は事情を説明する。「私たちは2人だけ。あなたのお父さんがいなければ 会社はやって行けない」(2枚目の写真)「あなたのお祖父ちゃんはもう年だし、私には無理。会社の収入がなくなれば、この家を手放すしかないの」(3枚目の写真)。「ここ僕の家だよ。パパが帰ってきたら、どうするの? ケガしてるか、捕虜になってるかも」。「お父さんは もういない。それでも、私たちは前を向いて生きていかなければならないの。さあ、自分の部屋に行って、持って行きたいものを詰めなさい」〔このシーンは、観ていて疑問が沸く。①それまで、トーマスの父がどんな仕事をしていたのかは全く分からないが、なぜ、父が死んだことで急速に経済的な困難な状態に転落するのか? ②邸宅に住む経済的余裕がなく、母に働く気持ちがないのなら、裕福そうな祖父の家に引っ越すことはできないのか? ③19世紀のアメリカでは、家庭外での有給労働は中流階級ではなく労働者階級の行為だとみなされていたので、その役割は家庭内の管理・子育てで、中上流では使用人が雑用を担当した。その女性の伯母が、田舎で貧しい農民というのも、何となくしっくりこない〕

自分の部屋に戻ったトーマスは、革鞄に、そこら辺にあった物を適当に投げ込む。そのあとで、棚から「キリスト降誕セット」の人形の入った木箱を取り出し、蓋を開けて中を見て しばらく考えると(1枚目の写真、矢印)、母に持って行ってもらおうと寝室に行くが、母はもう眠っていたので、自分の部屋に戻る。次のシーンは、駅での別れ。最初、駅の待合室は、小学生の団体で込み合っていて、全員が革鞄を持っている。団体がいなくなった後で、待合室は、トーマスと母と祖父と家政婦の4人だけとなった。最初は、大人同士3人で何か話していたが、祖父が、待合室の長椅子に座っていたトーマスの方に来ると、彼は膝の上に置いていた革鞄を下に置き、立ち上がって祖父と握手する。「頑張れよ、トーマス」。そのあとトーマスは、家政婦に抱き着く(2枚目の写真)。そして、汽車の発車が近づいたので、母はトーマスを連れてホームに出て行く。その直後、発車を知らせる笛が鳴り、祖父と家政婦は駅から出て行く。そのあとから、先程の団体の引率者の女性が待合室に入って来て、トーマスが忘れていった革鞄を見て(3枚目の写真、矢印)、生徒の忘れ物だと思い、持ち去る〔このシーンも、観ていて疑問が沸く。①なぜ、見送りが僅か2人なのか?  クリスマスのパーティの時には、あんなに招待客がいたのに。 ②なぜ、トーマスは、一番大切な物が入った革鞄を、そんなに簡単に置き忘れて行けるのか? ③待合室にいた生徒達は、汽車に乗るのを待っていたハズなのに、なぜ、発車してから引率者が来たのか?〕

蒸気機関車がトーマスの降りる町の上の高架橋を通り、トーマスは、つまらなさそうに窓の外を見ている(1枚目の写真、矢印は車掌に渡す切符)。次のシーンでは、伯母が馬車を操り、その横に母、後ろの席にトーマスが乗っている(2枚目の写真、赤い服が伯母)。そして、馬車は人里離れた場所にある農家に着き、犬が迎えに来る。引っ越しの最後のシーンでは、伯母が、“夫婦の寝室の真ん中にはあったトランクボックス” を立てて 何とか引きずっている(3枚目の写真)。すぐ横の階段に座ったトーマスが、「なぜ、ベリー〔犬〕はいつも〔all the time〕ここに座ってるの?」と訊く〔来たばかりで、どうして 「いつも」と言えるのだろう?〕。「リチャード〔死んだ夫〕戻って来るの待ってるのよ。外さ連れ出すてけだら? 探検すてくんの。んだげんと、犬は濡らさねようにね。毛がもづれで、梳がすのが大変だがら」〔山形弁を使用〕。嫌々森に “探検” に行かされたトーマスは、「どうして、僕たち、こんなバカげた場所に来なきゃいけないんだ。こんなトコ嫌いだ」と一人で愚痴る。そして、邪魔な犬を追い払おうと、犬が咥えてきた枝を投げると、それが小川に入ってしまい、取りに行った犬がずぶ濡れになる。

その夜、母は、トーマスが犬にしたことについて、「明日、その埋め合わせをしないといけないわ。農場を手伝ったり、鶏に餌をやったり、何でも」と言う。トーマスは 「僕、鶏に餌なんかやらない」と反論するが、母は 「私たちはジョアン伯母さんの慈愛にすがりに来たんじゃない。彼女も私たちと同じくらい余裕がないの」と言う(1枚目の写真)〔あんな豪華な邸宅を手放して お金がないとは、いったいなぜなのか 全く理解できない〕。トーマスは、母の部屋に 自分の革鞄が置いてないことに気付く。「僕の鞄どこ?」。「そこよ」。「あれじゃない、もっと小さなやつ」。「あなたの部屋は?」。「駅では、ちゃんと持ってた。あ… いけない、駅に忘れてきちゃった」(2枚目の写真)「戻らないと」。「そんなの無理よ」。「中に キリスト降誕セットが入ってるんだ。クリスマスには、ここにいるんでしょ? クリスマスにはいつも飾ってたじゃない」。「悪いけど、新しいのを買わなきゃ」。「でも、同じじゃない」。「同じよ」。「違うよ、同じ物なんかない。お母さんは、僕たちの持ち物も 友達も全部捨てちゃった。家も売っちゃった。だから、何もかも 以前と同じにはならないんだ!」。「いつかは元通りになるわ。約束する」。「何も約束しないで。ヒッキーさんは、僕と一緒に仮面を作るって約束したけど、作らなかった。お祖父ちゃんは、僕と一緒に試合を見に行くっていつも約束してたけど、一度も行かなかった。そして、パピーは帰ってくるって約束したけど、帰って来ない。だから、約束なんかしないで!」(3枚目の写真)「大人の約束なんか 大嫌いだ!」。

翌朝、7時10分、トーマスは、伯母が鍋を蓋で叩く音で目が覚める。3人は、伯母が先導し、森の中の小川を石を伝って渡り〔母だけ怖くて遅れる〕、歩いて村まで行く。そして、まだ誰もいない教会で、伯母と母は牧師と一緒に日曜礼拝の準備を手伝う。礼拝が終わると、母は、村人と話し合う。トーマスが1人で寂しそうにうつむいて待っていると、3人の男の子と1人の女の子がじゃんけんをして遊んでいる。そして、負けた女の子が、道の反対側にいるトーマスに気付き、「今日は」と声を掛ける。トーマスが顔を上げると、「あんた、タイラーさんの農場さ住んでるのね?」と訊く(1枚目の写真)。「どうして知ってるの?」。「パパ〔Pa〕教えでけだ。どだな農場なの? 豚 飼ってんの?」。「鶏だよ」。「鶏 飼えねわ」〔鶏だけでは農場は成り立たない。後で、羊も飼っていると分かる〕。そのあとで、彼女は、ようやく、名前を言い〔セリア〕、トーマスの名前を訊く。そこに、さっきセリアと一緒に遊んでいた男の子〔セリアの弟のエドワード〕と、その友達のボビーが紹介される。エドワード:「どっから来だ?」。「町から」。「あそごさいるの、おがぢゃんか?」。「うん」。「町じゃ、読み書ぎ学ぶ〔learn〕のが? ほんじゃ、おららのしぇんしぇ〔先生〕君さ学ぶごどなんてねがもな」。ここで、ボビーが「教える〔teach〕」と注意する〔エドワードは、「教える」という代わりに、間違って「学ぶ」と言った〕。「分がった。黙ってろ、ボビー」。そのあと、農場に戻ったトーマスが、両手に餌の入ったバケツを持って納屋に入って行き、やり方も教えてもらってないので、正しくないやり方で餌を撒いているのが映る(2枚目の写真)。一方、母は、台所で生まれて初めて本格的に何かを作ろうとするが(3枚目の写真)、やればやるほど失敗がひどくなる。最後に、トーマスは、鶏が生んだ卵3個を使ってジャグリングを始めるが、落としそうになって藁の上に転倒する。原作には、子供たちは登場しない。

月曜になり、初めて地元の学校に行ったトーマスは、いつものネクタイ付きの制服姿で行ったので(1枚目の写真、矢印)、みんなから笑われる。次のシーンでは、料理に自信が付いたと思った母が、如何にも不味そうな “ドロドロのシチュー” を皿につけ分ける。それを見た伯母は、母が席を立った隙に、半分を鍋に戻す。翌朝、納屋に藁を運んできた伯母は、トーマスの餌やりが乱暴すぎるので、「大切なごどは、鶏だぢに信頼すてもらうごど。優すくすてけで〔優しくしてあげて〕。私が絶対欲すくねのは、イライラすた鶏。不快なごどがあるど、鶏は卵あまり生まねがら」と教える。「なぜ、牛がいないの?」。「私一人で、世話すたり、毎日乳すぼりするの大変だがら。んだがら、羊さ替えだの」(2枚目の写真)映画の中で羊は出てこない〕。「伯父さんがいなくて寂しい?」。「すこだま〔とっても〕」。「伯父さんのこと、一度も話さないね」。「そうよ。変えられねごどについで悩むのは無駄だど思うがら〔I think it pays to fret about something I can't change〕」(3枚目の写真)「外目さ見えるごどど、心の中同ずどは限らねの」。「僕、他の(戦争に行っていない)男の人を見ると、時々、心の中ですごく怒っちゃう。あんな奴ら、死ねばいいのにって」。原作では、主役はジョナサン・トゥーミーだけだが、映画では、悩みを抱えたトーマスがもう一人の主役なので出番はこちらの方が多い。

母は、村で1軒しかない “何でも屋” に行った時、面白い木彫りの本立てに見とれる(1枚目の写真、矢印)。店主が、「いががだが?」と訊くと、母は 「見事な作品ですね」と褒める。「地元の人作ってるんだ。店の商品ど交換する形で」。「良い職人ですね」。「孤独好ぎな人でね、んぼこたぢ〔子供たち〕 は『グルーミー〔Gloomy、陰鬱〕』って呼んでるんです」。原作では、グルーミーさん映画では、ここで額縁を作っているグルーミーが映る(2枚目の写真)。そして、画面は変わり、映画の冒頭に出て来た小屋のような家の前の木立に子供たちが隠れ、そのうちの一人がドアか壁に石をぶつけ、グルーミーが額縁を作業台に置くと、ドアを開けて外を見るが、そこには誰もいない(3枚目の写真)。これは、冗談行動を超えた、悪意のある嫌がらせ、虐め、差別だ。原作では、冒頭に、子供たちがグルーミーさんと呼ぶことに、「人を悪口で呼ぶのは良くないことですが、この呼び名は実にぴったりでした。ジョナサン・トゥーミーはめったに微笑まず、決して笑いませんでした。彼はボソボソ〔mumbling〕、ブツブツ〔grumbling〕言い、独り言をつぶやき〔muttering〕、しどろもどろに話し〔sputtering〕、不満〔grumping〕や不平〔griping〕をこぼし続けました。彼は教会の鐘が何度も鳴らされたり、鳥たちがかん高く鳴いたり、子供たちが大声で遊んだりすると、文句を言いました」とだけ書かれている。

トーマスは、セリア、エドワード、ボビーの4人で、森の中の小川に行く。トーマスがセリアに、「どうして、君のお父さんは戦争に行かなかったの?」と訊くと、セリアは、「まなぐがわりいっけの〔目が悪かったの〕。もす〔もし〕、父さんに銃渡すたら、敵より、味方の方 危ねがった」と答える。「君、運が良かったね」。「そうね」。すると、小川に張り出した枝に跨ったエドワードが、「おい、トーマス、これでどだなごどがでぎるが見でみろよ」と言い、ボビーに 「見しぇでけれ〔見せてやれ〕」と言う。すると、ボビーは枝から垂れ下がったロープに飛び付き、小川の上にブランコに乗ったように飛んで行き(1枚目の写真、矢印はトーマス)、岸に戻る。エドワード:「分ったが? 簡単だべ?」。セリアは、弟が何を狙っているか分からないので、弟をキツイ目で見る。一方、トーマスは、かなり後ろに下がってから、ロープに向かって走る。すると、彼が飛び付く直前に、意地悪エドワードがロープを引き上げたため、トーマスはそのまま川に落ちてしまう(2枚目の写真、矢印)。それを見たエドワードは笑い、「町の子なのに、君ほんてんトロい」と、ひどいことを言う。当然、バカな弟を持ったセルアは怒り、「エドワード!」と叱るが、エドワードは、「おらが何するが知ってだぐしぇに」と しゃあしゃあと言う。「知らねがったわよ。ほだなこど〔そんなこと〕、もう卒業すたど思ってだのに。なんて、ガキっぽいごどすんの!」と再度叱ると、ずぶ濡れになったトーマスに、「大丈夫?」と声をかける。エドワードは、「悪意なんかねがった」と言うが、誰も使用しない。その時、近くをグルーミーことジョナサン・トゥーミーが通り、2人の目が初めて合う(3・4枚目の写真)。

その日の夕食は、グルーミーが話題となった。伯母は 「彼の名前はトゥーミーだと思う。彼は、ジム・ハードウィック〔セルアとエドワードの父〕がら借りだうず〔家〕に住んでるわ」と話す。トーマス:「エドワードは、彼が子供の誘拐犯だと言ってるよ」。伯母:「あの子、何で言ったの?」。「彼は、子供を入れる箱〔実は棺〕を作ったことを、エドワードに話したんだ。だから、エドワードは、彼が刑務所にでも入ってたと思ってる」。「あの子は、想像力〔実際には、悪意〕があり過ぎる。私はそうは思わね。彼は木工よ」。ここで、初めて母が口を出す。「私、お店で彼の作品を見たわ。良く出来てた」。トーマス:「怖そうだよ」。伯母:「ほだなこどねわ〔そんなことないわ〕。少す陰鬱だんだげんと、おっかなぐはね」(1枚目の写真)。「『陰鬱』って、何?」。「無愛想」。そのあと、伯母は、母の料理が上達したと褒める。場面は、変わってグルーミーの家の前。トーマスと3人が、小声で話合っている。「彼、中にいると思う?」。「出がげだの見だず」。「僕、村で見だ」。セリア:「ううん、彼、中にいるわ。トーマス、やめだ方がいい」。エドワード:「彼、僕らどづるみだぇんなら〔つるみたいんなら〕、やるさ」(2枚目の写真、矢印はドア)「僕ら、みんなやったべ」。セリア:「『みんな』って、何言いだぇの? あんた、やったごどねでねの」。ボビー:「僕、やったず」。エドワード:「僕だって、何度もやった」〔きっとセリアが正しく、これは嘘。犠牲者のボビーにやらせただけ〕。エドワードは、トーマスに、「やんのが、やらねのが?」と迫る。「やるよ」。「簡単にすてける〔してあげる〕。ドア叩がねぐでいい〔叩かなくていい〕。うず〔家〕の前まで行って、行った証拠になるもの何がたがいで〔何か持って〕来て」。それを聞いたトーマスは、立ち上がってドアの所まで歩いて行く。そして、ドアの右下の壁に置いてあった真っ黒な彫刻を拾うと手に持つ。しかし、拾う前に、足で入口に外側の木を踏んだ時に小さな音がしたので、それを聞きつけたグルーミーが、いきなりドアを開ける(3枚目の写真、矢印はグルーミー)。そして、トーマスが驚いて振り向くと、「何の用だ?」と訊く。トーマスは、何も言わずに逃げ出す〔子供たち3人は、もっと前に逃げていた〕

トーマスが帰宅すると、編み物を始めたばかりの母が、その音に気付き、部屋に入ってくる。そして、恐怖で震えているトーマスに対し、「キリスト降誕セットについて、いいこと思いついたの。あなたが小川で見た男の人、覚えてるでしょ? あの木工さん、トミーとかいう人」と話しかける。「トゥーミーだよ」。「ジョアン伯母さんが、トゥーミーさんの腕前褒めてたでしょ。だから、代わりのセットを彫ってもらおうと思うの」(1枚目の写真)「明日、一緒に彼に会いに行ってみましょうよ。どう思う?」。トーマスは、さっきの出来事の直後なので断りたがったが、自分が何をしたかを話せなかったので、母の言う通りにするしかなかった。そして、翌日、森の中を歩く母の後を、嫌々付いていくトーマスが映る(2枚目の写真、矢印)。そして、2人は、トゥーミーの家の前まで来る(3枚目の写真)。

母がドアをノックすると、すぐにドアが開く。ヤバいと思ったトーマスは、母のコートの後ろに顔を隠す。母は、「あの、トゥーミーさん、お邪魔してすみません」と話しかける(1枚目の写真、矢印は隠れたトーマス)。「何の用かな?」。「私は、スーザン・マクドウェルです。これは、息子のトーマスです」。これで、トーマスは顔を隠している訳にはいかなくなった。「私たちは、姉のタイラーと一緒に暮らしています」。「何の用かな?」。「入ってもいいですか?」。「いいや」。「ええと、それなら… 私たちが抱えている問題について、助けていただけないかと思いまして。実は、最近ある物を失くしてしまったのです。キリスト降誕セット。木の彫刻でした。私たちにとって、とても特別な物で、奇跡でも起きて戻って来ないかと願っていたのですが…」。「奇跡などバカげとる〔pishposh〕」。「おっしゃる通りでしょう。でもとにかく、降誕セットが必要なのです。新しいセットを彫ってくださることを ご検討いただけないでしょうか?」。この、考えられる限り最も丁寧な言い方に対して、トゥーミーは、「ダメだ」と拒否する。「とても忙しい。それに、他人への敬意を欠く人のために働くつもりはない」。トゥーミーは、それだけ言うとドアを閉める。母は、最後の言葉の意味が分からなかったので、息子が何かやったのでは疑い、「あれって何を意味していたの?」とトーマスに訊く。トーマスが肩をすくめたので、母は、何度も「トーマス?」と訊く。トーマスは、元々、エドワードのような悪い子ではないので、「僕、このドアをドンと叩いて逃げようとしたんだ。勇気ごっこだよ」と釈明する(3枚目の写真)。「『勇気』?」。「悪いこと、してないよ」。

母は、ドアをノックせずに、「トゥーミーさん、本当にごめんなさい。息子が何か不快な思いをさせてしまったなら、お詫び申し上げます。息子は、悪い子ではありませんが、他の男の子と同じで、時々、ちょっと男の子らしく振る舞ったりしますので… お邪魔して申し訳ありませんでした」と謝ると、直後に 「さあ、行くわよ」とトーマスに言い、そのまま立ち去ろうとする(1枚目の写真)。すると、家の中から、「何個だね?」という声がする。それに対し、母は、見当違いの返事をする。「喜んで手数料をお支払いします」。家の中からは、「彫像はいくつかね?」と、改めて問い直される。これに対しては、トーマスが、「羊が2つ、牛、天使、三賢人、ヨセフ、マリアと幼子イエス」と答える(2枚目の写真)。すぐに母が、「トゥーミーさん、これは私たちにとって、とても大事なことなんです」と言う。すると、ドアが開いたので、「引き受けて下さいますか?」と尋ねる。「1点につき50セント」〔1918年の50セントは、2025年の10.73ドル(★CPI Inflation Calculator)。これを円に換算すると約1600円。彫刻は、全10点なので16000円になる〕。「ありがとう」。「感謝の必要はない。それが私の仕事だ」。「クリスマスまでに人形が間に合う可能性はあるでしょうか?」。「クリスマス?」。トゥーミーは数秒考え、「できる時にはできる〔They will be ready when they are ready〕」と言ってドアを閉める(3枚目の写真)。この言葉は原作と同じ。母は、「よかったわね」とトーマスに言い、持って来た “布にくるんだパンか焼き菓子” をドアの横のベンチに置く。それを見たトーマスは、「もし、彼がそれ食べたら、仕事受けるの やめちゃうかも」と言う〔まだ、そんなに料理が下手? 一昨日は、伯母が褒めていた〕

そのあと、ジョアン伯母の農場が、はっきりと映る(1枚目の写真)〔最初に2人が着いた時も映ったが、ピンボケで使い物にならなかった〕。2人がここに来てから、何日経ったのかは分からないが、トーマスは、慣れた手つきで鶏に餌を撒いている。そして、可愛いヒヨコが何羽も入っている箱の中を嬉しそうに見ている(2枚目の写真)。一方、母は、台所で見事なパウンドケーキを焼き上げてにっこりする(3枚目の写真、矢印)。

場面が替わり、村で一番の通りを歩いているトゥーミーの後ろを、エドワードを先頭に、6人の悪ガキが後をついて来る(1枚目の写真、矢印はトゥーミー)。店の前でトゥーミーが振り向くと、エドワードも急いで反対を向き(2枚目の写真、店の入口にトーマスと母がいる)、6人は笑いながら逃げ去る。トーマスは、そんなエドワードを見て、仕方のない奴だなという顔で笑顔になるが(3枚目の写真)、怖い顔のトゥーミーと目が合うと、急いで真面目な顔に戻す。

母は、しばらく経ってから〔森の中なので〕、経過を訊こうとトゥーミーを追って行き、「トゥーミーさん」と呼びかける。二度目の呼びかけで立ち止ったトゥーミーは、振り向きもせず、「何の用だね?」と訊く。「私たちのキリスト降誕セットの制作を始められたか、知りたかっただけです」。トゥーミーはようやく振り向き、「いいや。だが、始めるよ」と言い、すぐ前を向く。母は、後ろ姿に向かって、「トーマスが、あなたの仕事を見に来ても よろしいでしょうか?」と訊く。「ダメ」。「トーマスは、邪魔しません」(1枚目の写真)。「私は 静かに仕事をしたい」。「トーマスには、必ずあなたの規則を守らせます」。「なぜ、そんなことを頼むんだね?」。「彼は想像力豊かな子で、ものづくりにとても興味を持っていました。この1ヶ月は彼にとって非常に辛いものでした。彼の情熱をもう一度燃え上がらせてやりたいのです」。「私は保育士じゃない」。「私が同行します」。「そわそわされるのは嫌いだ」。「彼は、じっと座っています」。それを聞いたトゥーミーは、遂に妥協し、「私は、夕方の1時間、彫刻をしようと思う。子供は5時に連れて来なさい」と言う。原作では、最初に依頼してから1週間後に、母がトーマスと一緒にトゥーミーの家を訪れる。そして、『申し訳ありませんが、トーマスが、ここに来て、あなたの仕事をどうしても見たいと望みましたもので。彼は、大きくなったら木彫り職人になりたいので、谷で一番のあなたの仕事を見てみたいと申しております』と言う。映画に戻り、午後5時より前に、トゥーミーは作業台の上に、直方体に加工した彫像用の木を1個置き、白い紙に、羊の顔の絵を描く(2枚目の写真)。伯母の家では、母が大きなパンを焼き上げ、1個を布でくるんで木のバスケットに入れる。そして、トーマスを連れてトゥーミーの家に向かう。途中で、「静かにじっとしてて」と言う。「はい、お母さん」。「そわそわしちゃダメよ。彼、そわそわされるの嫌いなの」。「分かったよ、お母さん」。「本気なのよ」。「はい、お母さん」。かくして、家に着いた母はドアをノックする。「入って」。「トゥーミーさん、素敵なお家ですね」。「気を散らして欲しくない。話しかけない。そわそわなし、ゆさゆさなし、雑音なし〔No fidgeting, no jiggling, no noise〕」。原作では、『会話なし、ゆさゆさなし、雑音なし〔No talking, no jiggling, no noise〕そして、母が暖炉の前の右側の揺り椅子に座ろうとすると、「その椅子はダメ。別の椅子。揺り椅子には、誰も座ってはならない」と注意する。2人がいないのと同じになると、トゥーミーは木を削り始める(3枚目の写真、右の矢印は直方体、左の矢印は母が始めたばかりの赤い編み物)。

トゥーミーが削り始めると、トーマスは、座ている木箱に触って音を立て、トゥーミーに睨まれる。彼が靴を少し動かして音を立てても、窓の外でカラスが鳴いても、トゥーミーはイライラする。そして、離れた場所で母が編み物をする時、かぎ針同士がぶつかる音でも、カッとして振り向く。トーマスが、口をポンポンさせると、怒ってナイフを作業台の上に置く。それ以後、部屋の中は静かになる。彫るのはかなり早く進み、直方体の上部が羊の形になっている(1枚目の写真、矢印)。その時、トーマスが、「トゥーミーさん」と声をかける。返事がないので、「すみません」「トゥーミーさん」「質問してもいいでしょうか〔May I ask a question〕?」と、少し間を置きつつ話しかける。原作では、『トゥーミーさん、質問してもいいでしょうか?』からスタートする〔同じ英文〕トゥーミー:「どうしてもならな」。原作では、「木彫り職人はトーマスを睨みつけ、肩をすくめてブツブツ言った」と書かれている。トーマス:「あなたが彫っているのは、僕の羊ですか〔Is that my sheep you’re carving〕?」。この質問は、原作と全く同じ。トゥーミー:「他の誰の羊だと言うんだ?」。原作では、「木彫り職人は頷き、またブツブツ言った」と書かれている。トーマス:「トゥーミーさん、すみません、でも、あなたは僕の羊を間違って彫っています〔you’re carving my sheep wrong〕」(2枚目の写真)。ここは原作と全く同じ。トーマス:「それ、とっても素敵な羊ですね」。トゥーミー:「『素敵』?」。「とっても素敵」。「でも?」。「えっと…  何だか違うような…」。「何が『違う』んだ?」。「幸せ」。「『幸せ』? バカげとる〔Pishposh〕! これは羊だぞ!  汚いただの羊だ。幸せそうに見えたらおかしいんだ」(3枚目の写真、矢印は羊)。「僕の羊は幸せでした〔My sheep were happy〕」。「どうして? 何をもって幸せだと思ったんだ?」。「羊たちは、幼子イエスと一緒だと知ってたんです〔They knew they are with the baby Jesus〕」(4枚目の写真)。この長い場面は、原作ではもっと短い。『それ、毛が素敵にカールした美しい羊ですが、僕の羊は幸せそうでした〔my sheep looked happy〕『バカげとる。羊は羊だ。幸せそうに顔などせん』『僕の羊たちは幸せでした。幼子イエスと一緒だと知ってたから、幸せだったんです〔They knew they were with the Baby Jesus, so they were happy〕何れにせよ、ここまでの映画の進行状態とは違い、この部分の映画原作にかなり忠実に脚色されている。

息子が、トゥーミーに迷惑をかけていると思った母は、立ち上がると、「そろそろ行かなきゃ」とトーマスに言い、トゥーミーには、「お招きいただき、どうもありがとうございました」と礼を言う(1枚目の写真、矢印は羊)。そして、「またお伺いできれば幸いです。このパンは私が焼きました。気に入っていただけると嬉しいです」と言って、彼の作業台の端に布で包んだパンを置く。さらに、そのあと、2人は外に出て行く。しかし、その間ずっと、トゥーミーは何も言わず、微動だにせず、羊をじっと見ながら考え込んでいる。伯母の家での夜遅く、ベッドに入ったトーマスに、母は 「お祈りしましたか?」と訊く。「祈ることなんか何もないよ」。「これ以上、トゥーミーさんを怒らせないで下さいって、祈ることができるいでしょ。彼は、ほいほいと指示に従ってくれるような人じゃないから」。「僕は、どうこうしてって言ってないよ。僕の羊は幸せだよって言っただけだ」(2枚目の写真)「思うんだけど、気難しそうなフリをしてるだけじゃないのかな」。一方、トゥーミーは、作業台の上を片付け、もらったパンと、自分で作ったスープで夕食を取りながら、時々、羊をじっと見る。そして、スプーンを置くと、羊を取り上げて顔に近づけ、わざと笑顔を作ってみる(3枚目の写真、矢印)。このことから、彼がトーマスの希望をどうやって彫像に反映すべきか真剣に考えていることは確かだ。映画では、ここで終わるが、最終的に完成した2頭の羊の彫刻を、4枚目に〔事前だが〕紹介しておこう。 この2頭が “幸せそう” なのかどうかは意見が分かれるところ。 

翌日、学校が終わった後で、エドワードがセリアに、「なすて ダメなのさ?!」と訊いている。セリアは 「あの人、刑務所なんかに入ったごどねど思うがらよ。トーマスも、いい人だって言ってだす」(1枚目の写真)。「トーマス何で言おうが、あいづぁいい人でね〔じゃない〕。奴がうず〔家を〕出で行ぐまで待って、証拠たねんべ〔証拠を探そう〕」。「どだな証拠?」。「しゃね〔知らない〕よ。きっと何がある。あいづ、どっから来だんだ? なすて、友だぢも家族もいねんだ?」。「どうやって入んの?」。悪ガキのエドワードは、父のキーホルダーから盗んできた鍵を見せる(2枚目の写真、矢印)。そして、何も知らないバカなので、違法なことを平気で言う。「これは僕らのうず〔家〕だ。グルーミーは借りでるばり〔だけ〕〔1918年頃のアメリカでは、家主は緊急時を除き、通常は許可なく借家に入ることはできなかった。合法的に家を占有している借家人は、「Covenant of Quiet Enjoyment(“家主から妨害を受けることなく不動産を占有できる権利” 契約)」として知られる不文律の原則に基づき、家主に対抗してでも、借家への立ち入りを独占的に制御する権利を有していた〕。来週のいつ行くかを話し合っている時に、それを耳にしたトーマスが、「来週、何かやるの?」、鍵を見て 「それ何?」と訊いたので(3枚目の写真)、エドワードは 「何でもね〔何でもない〕」と言ってごまかす。

その日の5時過ぎ、トゥーミーは、紙に描いておいた牛の絵を見ながら(1枚目の写真)、牛を彫り進んでいる(2枚目の写真)。すると、昨日と同じように、トーマスが、「トゥーミーさん、すみません」と声をかけ、トゥーミーは 「ん?」と言う。原作では、トーマスが、『トゥーミーさん、すみません、質問してもいいでしょうか?』と訊くと、トゥーミーは 「ブツブツ言う」となっていて、少し不親切。トーマス:「あなたが彫っているのは、僕の牛ですか?」。この質問は、原作と全く同じ。トゥーミー:「そうだ」。原作では、「頷き、ブツブツ言う」なので、やはり不親切。トゥーミー:「なぜ訊く?」。トーマス:「トゥーミーさん、とっても素敵な牛ですね。ただ… 僕の牛には似てないんです」。「いいか… 彫刻はどれも同じじゃない」。「でも、僕の牛は、ええと、誇らしげに見えるんです〔But my cow looked, well, what kind of proud〕」(3枚目の写真)。原作では、『トゥーミーさん、すみません、でも どうしても言わないと。それ、とっても素敵な牛です、僕がこれまで見た中で。でも、間違っています。僕の牛は誇らしげに見えるんです〔My cow looked proud〕と、対話がなく、トーマスの言葉も少し違っている。トゥーミー:「誇らしげ? バカげとる。牛は牛だ。誇らしくなど見えん〔Proud? Pishposh. Cows are cows. They cannot look proud〕」(4枚目の写真)。ここは原作とほぼ同じで、『そんなのバカげとる。牛は牛だ。誇らしくなど見えん〔That’s pish-posh. Cows are cows. They cannot look proud〕トーマス:「僕の牛はそうでした。幼子イエスが、自分の家畜小屋を選んで生まれたことが、誇らしかったんです〔My cow did. It knew Jesus had chosen to be born in it's barn. So it felt proud 〕」。ここは原作と全く同じだが、ここから先は、原作にはない。トゥーミーは、自分の彫った牛を見ながら。「いいか、これは本物の牛じゃない。彫刻だ。彫刻は木で出来ている。彫刻には感情はない」と、諭すように言う。しかし、トーマスは、「僕の牛にはありました」と言って笑顔になる。

2人が帰った後、トゥーミーは、牛の顔を描き直す(1枚目の写真)。そして、悩んで彫り続ける。そして、最初の案に従って牛の像〔細部は未完成〕を完成させる(2枚目の写真、矢印)。しかし、これでは、どう見ても、“誇らしく” はないので、トゥーミーはどうするか迷う(3枚目の写真)。映画は、この場面で終わるが、最終的に完成した牛の彫刻を、4枚目に〔事前だが〕紹介しておこう。この牛は、 この節の1枚目の絵とそっくりだ。

ある日、子供たちが教室で授業を受けていると、行進曲が流れ、兵士の行進する映像が写る。この村から出征した兵士が戦争から帰還したと気付いた男の子が1人、教室から飛び出て行く(1枚目の写真)。そして、通りに現れた兵士めがけて走って行く。他の生徒たちも一斉に教室から出て行く。通りは、生きて戻った帰還兵を歓迎する村人で溢れる(2枚目の写真、矢印は最初に飛び出て行った少年とその父)。寂しそうにしているのは、トーマスただ一人(3枚目の写真)。

その日、トゥーミーは、予め、トーマスが作業台の近くで作業が見れるように、わざわざ3本脚の腰掛けを作る(1枚目の写真、矢印)。そして、5時になりで2人が来ると、ドアから入って来た順に、「トーマス」「マクドウェルさん」と声を掛ける〔最初と比べ、何という違いよう〕。トーマスが悲しそうにうつむいて椅子に座っているのを見ると、「今日は静かだな」と声もかける(2枚目の写真)。「お父さんのことを考えてたの」。「父さんの、何を考えてたんだ?」。「もう、誰も覚えてないだろうって」(3枚目の写真)。トゥーミーは、「君が覚えてるじゃないか。いいかい、父さんにとっちゃ、それで十分だと思う」と、優しく慰める(4枚目の写真)。

トゥーミーは、腰掛けを作業台のすぐ横に移動するよう指示し、トーマスは、近くから天使を彫るのを見る(1枚目の写真、矢印は天使)。作業は進み、母が、ティーと、切り分けたパウンドケーキを皿に乗せて作業台の上に置く。その時、天使を見ていたトーマスが、困ったような顔をしたので、それに気付いたトゥーミーが(2枚目の写真、矢印は天使)、さっそく、「何が気になるんだ?」と尋ねる。トーマス:「なんでもありません、トゥーミーさん」。「よかった」。「ただ…」。「何だ?」。「その… ちょっと…」。「それで?」。「僕の天使は… 重要な方らしく見えたんです〔looked really kind of sort of important〕」(3枚目の写真)。「『重要』? バカげとる。天使なんだから、重要に決まっとる。どうやったら、もっと重要そうに見せられるんだ〔How am I supposed to make it look more important〕?」。「分りません、トゥーミーさん。でも、あなたならきっとできる。羊と牛も、そうして下さったでしょ」。この2人の会話は、羊と牛の場面の延長線上にある。しかし、原作では全く違っている。トーマス:『トゥーミーさん、すみません、あなたが彫っているのは僕の天使ですか?』。トゥーミー:『そうだ。私のために、どこが違っているのか詳しく話してくれないか?』。トーマス:『幼子イエスに遣わされた天使だから、神の最も重要な天使の一人のように見えたんです〔looked like one of God’s most important angels〕。トゥーミー:『どうすれば天使を重要そうに見せられる〔How does one make an angel look important〕?』。トーマス:『あなたならできますよ。谷で最高の木彫り職人なんだから』特に、「重要」(イエスの誕生の場に遣わされた)という言葉が映画では省かれてしまい、一体どう修正すべきかを分かりにくくしている。参考までに、最終的に完成した天使の彫刻を、4枚目に〔事前だが〕紹介しておこう。2枚目の写真の天使の羽は小さいが、完成した天使の羽は大きくて立派なので、格の高い天使らしさが感じられる。

先程の続き。トーマスは、いつもの調子で、「トゥーミーさん、すみません、でも…」と言い出す。原作では、『トゥーミーさん、すみません、質問してもいいでしょうか?』と、より はっきり発言する。トゥーミーは、トーマスの言葉を遮って、「“黙っていることの大切さ” について、誰も君に教えなかったのか?」と訊く。原作では、『君は、話すのをやめることはないのか?』と、もっと直接的に訊く。トーマス:「お母さんが…」。トゥーミー:「何て言った?」。トーマス:「僕が、あなたからそれを学んでくれるといいなって」。原作では、『お母さんは、僕、やめないって。僕は、あなたから、“黙っていることの美徳” を学べるって言いました』と、映画の台詞 “黙っていることの大切さ” の原点となった表現が使われている。トゥーミーが、「そうか?」と、トーマスの言葉を許容するような返事をしたので、トーマスは、訊きたかったことを口にする。「何か彫ってもいい?」(1枚目の写真)。この話題の転換点になる部分について、原作では、トゥーミーが 『で、はっきり言って、何が訊きたいんだ?』と質問し、トーマスは 『彫り方を教えてもらえません?』と訊く〔彼は、彫刻師になりたいので〕この、これまでとは全く違った要望に対し、映画では、2人の間で攻防が続く。まず、トゥーミーが、「ダメだ」と断り、トーマスが 「どうして?」と訊く。「きっとケガするだろうから」。「僕、気をつけるよ」。「誰だってそう言うが、ケガするに決まっとる」。「僕、やってみたいんです」。「そもそも、私は教師じゃない」。「教えてもらわなくていいです。自分で何とかしますから」。「それに、この作業台は、1人の彫刻師が使える広さしかないんだ」。トゥーミーは、それだけ言うと天使を彫り始めるが、すぐに止め、ため息を付くと、少し考え、作業台の下から円筒形の木材を取り出し、「ほら」と言ってトーマスに渡す(2枚目の写真、左の矢印が円筒形の木材、右の矢印は後で作り直す天使)。原作では、もっと簡単で、「木彫り職人はぼやいた、『私はとても忙しいんだ』。しかし、大事な天使を置いた。『鳥でも彫ってろ』という短い文で終わっている。木材を渡されたトーマスは、「何を彫ったら?」と訊く。「そう… 鳥だな」。「どんな鳥?」。トゥーミーは、「うーん、コマドリかな」と言いながら、いつもの紙に、簡単に鳥の絵を描く(3枚目の写真)。トーマスは、「僕、コマドリ好きだよ」と笑顔で言う。原作では、トーマスは、『コマドリがいいな… 僕、コマドリ好きなんだ』と言い、そのあとで、「木彫り職人は、木炭で茶色の紙の上にコマドリのスケッチを描いた」と書かれている。トゥーミーは、木彫り専用のナイフを取り出すと、「このナイフはとても鋭い。だから、気をつけるんだぞ」と注意し、トーマスは笑顔で 「そうします」と応える。トゥーミーはナイフをトーマスに渡すと、ナイフを持ったトーマスの指を、上から支えながら、削り方を丁寧に教える(4枚目の写真)。原作では、「彼はトーマスに小さな松の角材とナイフを渡した。彼は角材の角をどう切り落とし、木材の縁をどう滑らかな曲線に整えかを教えた」と書かれている。

ここからは、トーマスと友達、トーマスと彫刻が交互に、台詞なしで、短く表示される。最初が、トーマスとセリア。ジョアン伯母の納屋に来たセリアが、トーマスが鶏に餌をやるのを見るシーン(1枚目の写真)。トーマスはこの後で、セリアに右上の箱の中のヒヨコを見せる。次いで、トゥーミーの家で、暖炉の前で母が編み物をしているシーン〔編んでいるのが赤いマフラーだと分かる〕と、トゥーミーが三賢人の一人を、トーマスがコマドリを彫っているシーン(2枚目の写真、矢印は三賢人)。3つ目は、トーマスがこの村に来た頃、小川に落とされたと同じ木からぶら下がったロープで、今度は、仲間として遊んでいるシーン(3枚目の写真、矢印はトーマス)。4つ目が、完成した三賢人(4枚目の写真)。原作では、トゥーミーの彫刻に対する姿勢の変化が良く分かる記述がある。トゥーミー:『次に、私は三賢人とヨセフを彫る。私が始める前に、私がやるかもしれない間違いを、きっと教えてくれるよな?』。トーマス:『僕の三賢人は、イエスに会いに行くので、一張羅の礼服を着ていました。僕のヨセフは幼子イエスを守るかのように身を乗り出していました。とても真剣そうでした』これは、トゥーミーが、トーマスの意見を重視するようになり、事前に予め聞いておくことにしたという点で極めて重要な変化なので、映画で省略されてしまったのは、極めて残念だ。

伯母の家に帰ったトーマスが、彫り進んだコマドリを伯母に見せていると、母は、軍から届いた “夫の遺品の入った小包” が置いてあるのに気付き(1枚目の写真、矢印は小包の箱)、箱を持って2階に行く。一方、トゥーミーは完成したヨハネの像を満足そうに見ている(2枚目の写真、矢印はヨハネ)〔この像に関しては、前の節で触れたように、映画では、トーマスのコメントは一切ない〕。その日の夜、寝間着に着替えて部屋にいたトーマスは、母がすすり泣く音が聞こえたので、どうしようかと迷った後で、母の部屋に入って行く。母は入って来たトーマスに、夫の懐中時計を渡す。そして、夫の写真を見ながら、彼の思い出を語る。最後の部分を引用すると、「彼は、素晴らしい人だった。彼は優しくて、強い人だった。彼は、私たちを見守ってくれた」。それを聞いたトーマスは、「もう心配しないで。これからは、僕たち2人でやっていけがいい」と言う。それを聞いた母は、トーマスの手を誓うように握りしめると、「そうしましょ」と言う(3枚目の写真)。そのあと、2人はしっかりと抱き合う。

悪ガキのエドワードが、トゥーミーの家の鍵を手に持つと、セリアとボビーに、「そろそろ行くよ?」と声をかける(1枚目の写真、矢印は鍵)。すると、セリアが見放したように、「行かないわ」と言う。「どうしてさ?  何、言い出すんだ、臆病者」。「『臆病者』じゃない。正しくないと思うからよ!」(2枚目の写真)。エドワードはボビーに、「じゃあ、君と僕だけみたいだな。どうせ、セリアは邪魔になるだけだから」と言う。すると、ボビーも、「僕も行かないよ」と言う。「何だと!」。「行かない!」。「どうして?!」。「本質的に、これは “個人のプライバシーの権利” の侵害だと思うからさ」(3枚目の写真)。それを聞いたセリアは笑い出す。

トーマスは、店の前に座っているセリアを見つけると、隣に座り、「エドワードはどこ?」と訊く。「カッとなって行っちゃった」。「何があったの?」。「別に、何も」。「話してよ」。「言いたくないの」。「どうして? 彼、どこに行ったの?」。「トゥーミーさんの家に 証拠を探しに行ったの」。「『証拠』? 何の証拠?」。「知らないわ。彼、証拠としか言わなかったから」(1枚目の写真)。「どうやって中に入るんだろう?」。「パパのキーホルダーから鍵を盗んだの」。それを聞いたトーマスは、トゥーミーのことが心配になり、「彼を止めないと。僕の母さんに、トゥーミーさんの家で会うって話しといて」と言うと、急いでトゥーミーの家に向かう。全力で走っていると、エドワードの姿が見えたので、「エドワード!」と叫ぶ。そして、「何する気だ?!」と問い詰める。「関係ないだろ」。「他人の家に勝手に押し入ることなんかできない!」。「他人のじゃない。僕の家族のだ。それに、余計なお世話だ。あのトゥーミーは何か隠してるんだ。それが何なのか突きとめてやる」。「彼に構うなよ、エドワード」。「なら、どうする? そもそも、何で関わるんだ? 彼が そんなに好きなんか?  ママに、彼と結婚して欲しいなんて、思ってるんじゃないよな? そうだ、君、新しいパパが欲しいんだろ? それが、あのグルーミーなんだな?」(2枚目の写真)。我慢の限度を超えたトーマスは、エドワードの顔を拳骨で殴る。実際に殴られるシーンはないが、次の場面では、鼻をハンカチで押さえたエドワードがボビーと一緒に歩いている(3枚目の写真、矢印はハンカチ)。ボビーが、「あの時、彼を君から彼を引き離せて、僕は幸運だった」と言うと、あくまで生意気なエドワードは、「黙れ、ボビー」と言って立ち去る。森の中の切り株に座って悲しんでいるトーマスを見て、通りかかったトゥーミーは、トーマスの肩に手を置き、「トーマス、何かあったのか?」と訊く。「ある奴と、口論したんだ」。「『口論』?」。「喧嘩みたいなもの」。「よく喧嘩するのか?」。「時には、しないと」。「違うな。戦う必要はない。戦う奴は、戦うのが好きだから戦うんだ」。「時には、戦うのが嫌いでも、戦わざるを得ない時もあるんだ」(4枚目の写真)。

クリスマス・イヴの前日、5時になり、母がトゥーミーの家を訪ねた時には、2人はまだ森の中で話していて、誰もいなかった〔最大の疑問。なぜ母はドアを開けて中に入れたのだろう? トゥーミーが鍵を渡したとは思えない。なぜなら、今までは、トゥーミーが作業をしている所に母子が訪れていたので、鍵は必要ないから。また、トゥーミーが鍵を掛けずに出かけたとも考えにくい。脚本の大失態だが、気付く観客は少ないかも〕。母は、クリスマスの前日なので、ヒイラギの小枝を木のバスケットに入れて持って来る。そして、棚の上に置いてあったコップにヒイラギを入れると、その下の引き出しが少し開いているのに気付き、中にきれいな布が入っているように見えたので、引き出しをもっと開いて中身を見てみる(1枚目の写真、矢印は布)。母は、布を出してみて、テーブルクロスにぴったりだと喜ぶ。布の下には、赤ちゃん用の毛糸の靴下と、聖書が入れてあり、表紙をめくると、“赤ちゃんを抱いた女性” の写真が挟んである〔他人の物を勝手に見たり触ったりする行為は倫理に反する〕。ここで場面は変わり、トゥーミーとトーマスが並んで家に向かっている。トーマスが 「今日は何を彫るんですか?」と訊く〔この質問もおかしい。他のすべての彫刻が終わっているのだから、残りは1つしかない〕。トゥーミーは、「今日か? 今日は、マリアと幼子イエスを彫り始める」と言うと、「私が何か間違ったことをする前に、2人はどんなだったか、言いたいんじゃないか〔You want to tell me what they should look like before I go making any mistakes〕」と訊く。これは、先に紹介した原作の三賢人とヨセフについて、トゥーミーが訊いた、「私が始める前に、やるかもしれない間違いを、きっと教えてくれるよな〔Perhaps, before I begin, you will tell me about the mistakes I am going to make〕?」と訊くのと、文章は違うが主旨は同じだ。トーマスは、「簡単ですよ、トゥーミーさん。2人は世界中の誰よりもお互いを深く愛し合ってました〔They just loved each other more than anything else in the world〕」と言ったあとで、「少しは役に立ちました?」と訊く〔返事はない〕因みに原作でトゥーミーがマリアと幼子イエスについてトーマスに尋ねる時のやり取りは、「私は、これからマリアと幼子を彫り始める。君の彫刻がそんなだったか話してくれるか〔Can you tell me how your figures looked〕?」。「セットの中でも圧倒的でした。イエスは微笑み、母マリアに手を差し伸べ、マリアは幼子をとても愛しているように見えました〔Jesus was smiling and reaching up to his mother and Mary looked like she loved him very much〕」。「ありがとう、トーマス」というもので、こちらのサジェスチョンの方がより具体的。トゥーミーはドアを開けて中に入る。そして、テーブルの上に広げられた大切な布と、布の上に置かれたいろいろな物を見て愕然とする(2枚目の写真、下の矢印は布、その上の矢印は赤いマフラー)。母もトーマスも、嬉しそうに見ていたが、トゥーミーが母を見て、「あんたには、こんなことをする権利はなかった〔You had no right〕」と言うと、雰囲気は一変する。母は、「私はヒイラギ用の花瓶を探していました。テーブルの上に置いたら、きっと素敵だろうと思ったのです。本当にごめんなさい。悪気など全くありません〔I'm meant no harm〕」と謝るが、“権利がない” という批判には応えていないし、反省もしていない。そこで、トゥーミーは、「権利など全くない〔No right at all〕」と、より強く批判する。そして、トゥーミーは燭台を取り上げてロウソクの火を吹き消すと、作業台の上に置き、ヒイラギをどこかに捨て、陶器の食器をテーブルの隅に置くと、テーブルを覆っていた布を一気に剥がし、汚れていないか調べる(3枚目の写真、矢印は布)。すべてが終わった後、トゥーミーは何もせずに作業台の前に座り続け、その横で、トーマスもコマドリを彫らずに、トゥーミーを見ている。大失敗した母だけは、編み物を続ける(4枚目の写真、矢印は手をつけずに放置されたままの木材)。そのあと、2人が打ちしおれて森の中を帰って行く姿が映る。最後に、この後半の部分と原作との関係について述べる。映画の元になった場面は、こんな時点ではなく、まだ天使を彫っている最中に起きる。トゥーミーが天使を、トーマスがコマドリを熱心に彫って最中に行われた行為なので、上記の “家の鍵云々の問題” は起きない。「トーマスとトゥーミーさんが彫っている間、マクドウェル夫人はヒイラギの小枝を水の入った瓶に入れた。彼女はトゥーミーさんの台所のテーブルを磨き、棚の下の引き出しの中から見つけた “スズランとヒナギクが刺繍されたきれいな布” の中央に瓶を置いた」と、状況が説明される。そして、かなり時間が経ってから、それにトゥーミーが気付くと、「『引き出しで布を見つけました。テーブルに置いたらきれいだろうと思ったのです』と、マクドウェル未亡人は、笑顔で言った。『その引出しは決して開けるな』と木彫り職人は厳しく言った。2人が去った後、ジョナサンは布を片付けた」とだけ書かれている。映画のトゥーミーの方が遥かに厳しい。

クリスマス・イヴの前日の夜、トーマスは、トゥーミーの家で彫ることができなかったコマドリを、急いで彫っている。そこに、出来上がった赤いマフラーを持った母が入ってくる。トーマスは、「今日は、僕たち、トゥーミーさんをすごく怒らせちゃったね」と言う。「違うわ、トーマス。私がやったの。あなたのせいじゃない」と、当然のことを言う。「今年のクリスマスは、いつもと違うものになっちゃうかもね」。「分からないわ」。「お祈りするよ」。「それはいい考えね」。母は、翌朝、いつものように 木のバスケットを持ってトゥーミーの家を訪れる。そして、ドアを少しだけ開けたトゥーミーに(1枚目の写真)、「謝りに参りました。私の過(あやま)ちで、どうかトーマスを罰しないで下さい」と言う。「そんな必要はありません」。「そうしたいのです。あなたがどんな方で、あなたに何が起きたにせよ、あなたにはプライバシーを守る権利があり、私にはそれに干渉する権利はありませんでした」〔これでは、トゥーミーに何らかの暗い過去があるように聞こえてしまう。なぜ、もっと普通に謝れないのだろう?〕「メリークリスマス、トゥーミーさん」と言って、2つの包みをバスケットから取り出す。「プレゼントはいらない〔I want no presents〕。クリスマスなんか くだらない」。「私たちには違います、トゥーミーさん。クリスマスは特別な日です」。そう言うと、ドアの横のベンチの端にプレゼントを2つ置いて立ち去る(2枚目の写真、矢印)。トゥーミーは、プレゼントを家の中に持って入ると、上に乗っていた赤い紙の方を開けてみる。中には、完成したコマドリが入っていた(3枚目の写真、矢印)。原作でも、母は、『メリークリスマス』と言って、2つのプレゼントをトゥーミーに渡す。「ジョナサンは胸の前で腕を組み、『プレゼントはいらない』と、とげとげしく言う」〔発言は同じ言葉だが、その後のクリスマスを冒瀆する言葉はない〕。母は、『だからこそ、さし上げたいのです』と言って立ち去る。中に入っている物は同じ。

クリスマス・イヴの日の昼間、納屋の藁の山の上で、セリアはトーマスに、「彼、やり終えると思う?」と訊く。トーマスは、「分からない。奇跡でも起きない限り無理だ」と話す。場面はトゥーミーの家の夜に変わり、彼は、マリアと幼子イエスの下絵を何度描いても気に食わないので、床に、くしゃくしゃになった紙が散乱している(1枚目の写真、矢印は くしゃくしゃになった紙)。次に映るのが、自分が描いた絵に、ダメダメの横線を書いているシーン(2枚目の写真)。原作には、「木彫り職人はその日夕食を食べなかった。代わりに彼は最後の像、マリアとイエスの下絵を描き始めた。彼はメアリーを描き、下絵をくしゃくしゃにして床に投げ捨てた。彼は幼子を描き、下絵をくしゃくしゃにして最初の幼子と一緒に捨てた。彼は再び下絵を描き、再び紙をくしゃくしゃにした。すぐに、彼の足元には くしゃくしゃの紙の山ができた」と書かれている。こうしたことをくり返しているうちに、トゥーミーは昔、幸せだった時のことを思い出す。そして、後にある暖炉の揺り椅子に、妻子の像が現われる(3枚目の写真)。トゥーミーは、“テーブルの上を怒って片付けた時に作業台の上に置いたままになっていた聖書” を取り上げると、表紙を開いて、妻子の写真を見る(4枚目の写真)。トゥーミーは写真を取り出し、作業台の前に置く。すると、昨日、家の外でトゥーミーが訊いた時にトーマスが答えた言葉が聞こえる。「2人は世界中の誰よりもお互いを深く愛し合ってました」。トゥーミーは、直方体の木材を手に取ると、その写真を参考にして、彫り始める。原作には、「トゥーミーは、引き出しの底から、深い茶色の栗の木を美しく彫った額縁を取り出した。額縁には、赤ちゃんを抱いて揺り椅子に座った女性の木炭画が入っていた〔19世紀前半なので写真はまだない〕。赤ちゃんの腕が伸び、女性の顔に触れていた。女性は赤ちゃんを見下ろして微笑んでいた……彼は、絵を作業台に持って行き、彫刻を始めると、指先は素早く確実に動いた。彼は一晩中彫り続けた」と書かれている。

そして、イヴの深夜から朝にかけて、雪が降り出す。トゥーミーの家、村の通り(1枚目の写真)、そして森も、次第に雪で白くなっていく。朝になり、トーマスは母に起こされる。彼は目を覚ますと、驚いて体を起こす(2枚目の写真)。目の前のサイドボードの上に、完成したキリスト降誕セットが置かれていたからだ(3枚目の写真)。前の方の節で、何回か、“最終的に完成した彫刻” の姿を紹介してきたが、それは、このシーンの直後に映される個々の映像を前倒しで見せたもの。ここでは、4枚目に、トゥーミーが一晩頑張って完成させたマリアと幼子イエスの像を添付する。原作には、「翌日、マクドウェル未亡人の部屋のドアがノックされた。彼女がドア開けると、そこには首に赤いマフラーをかけた木彫り職人が立っていて、藁を詰めた木箱を持っていた」と書かれ、像の1つ1つの簡単な説明が付いている。

午前11時半、クリスマス礼拝が終わり、村人たちが教会から出て来る。その中に、にこやかな顔をしたトーマスと母もいる(1枚目の写真)。そのトーマスに、最後まで悪ガキのエドワードが、雪玉をぶつける。そこから、子供たちの間で雪合戦が始まる。2枚目の写真は、トーマスがエドワードをやっつけたところ(矢印がトーマス)。それを見て、母から贈られた赤いマフラーを肩にかけたトゥーミーが笑っている(3枚目の写真、矢印)。彼は、もうグルーミー〔陰鬱〕ではなくなった。原作は、「その日、ジョナサンはマクダウェル未亡人とトーマスと一緒にクリスマス礼拝に行った……もう誰も、彼をグルーミーさんと呼ばなくなった」で幕を閉じる。

昼を回ってから、伯母の家で行われたクリスマスパーティには、トゥーミー、そして遠方からわざわざやって来た祖父とヒッキー夫人も参加する。そこで出された料理は、すべて母が作ったもの。そこには、大人だけでなく、セリア、エドワード、ボビーの3人もいて、結構にぎやかだ(1枚目の写真)。トーマスは窓の前に置かれたキリスト降誕セットの前で彫刻を見ている(2枚目の写真、矢印)。3枚目の写真は、クリスマス風に配置された彫刻群。そこに、トゥーミーが来たので、トーマスは 「本当に素敵ですね、トゥーミーさん。ありがとう」と感謝する。「どういたしまして、トーマス」。「質問してもいいですか?」。「どうしてもって言うなら」。「クリスマスって “pishposh” だと思いますか?」〔彼は、pishposh(バカげてる)の意味を知らない〕。「そうは思わんな、トーマス。クリスマスが “pishposh” だとは思わん。クリスマスは、とても特別なものだと思うよ」。「トゥーミーさん “pishposh” って、どういう意味ですか?」。ここで、映画は終わる。

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