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Wenecja ヴェネツィア

ポーランド映画 (2010)

撮影部門に特化した世界で唯一のカメリニッジ国際撮影芸術映画祭(Camerimage)で最高の金の蛙賞に輝いたポーランドの名画。映像はどこまでも美しく、四季の変化を詩情豊かに捉えている。

登場人物は非常に多い。主人公の12才のマレク(Marcin Walewski)はほとんど出ずっぱりだが、後は、母のヨアンナ、その姉妹のヴェロニカ、バルバラ、クラウディーナ、いとこのソージャとカロリーナ、村から通いのお手伝いフローシャと女性がいっぱい出てきて、誰が誰だか区別がつきにくい。それ以上に分かりにくいのが、映画の構成とエンディングである。ヴェネツィアという原題は、ヴェネツィアに行きたいと心から願っていて戦争で行けなくなったマレクの願望を叶えるように、避難先のヴェロニカの田舎の古い館の地下に出現した光と水の空間を指している。その水の中にヴェネツィアのムラノグラスでできたペンダントが落ちていくショットが映画の冒頭で説明なく流れ、そして、ラストシーンでも流れる。ラストの解釈を巡っては様々な見解があるが、脚本家の語る「あらすじ」を探し当て、ようやく「結末の意味するもの」を理解することができた。映画は、1939年のドイツ軍のポーランド侵攻、そしてその直後のソ連軍の侵攻を受けた寒村の状況を、限りなく静かに描いている。アンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)の名作『カティンの森』と同時代だが、あのような悲惨さは影を潜め、ひたすら田舎に隔絶された一家を追い続ける。

主役のマーチン・ワレスキ(Marcin Walewski)は、きれいなブロンドで黒い縁取りのある灰色の目をもつ端正な美少年。映画で、これほどハンサムな少年に出会うことは稀である。抑えに抑え、ほとんど笑うことのない演技も見事である。


あらすじ

映画は、いきなり、濁った水の中をガラスのペンダントが落ちていくシーンから始まる。1939年春。悪名高きドイツのポーランド侵攻の半年前である。次が、マレクの少年軍事教練のシーン。如何にも第一次世界大戦的である。ポーランド軍が侵攻を受けて一気に崩れたのが理解できるような前時代ぶりである。マレクは「会いたかった」というだけの理由で、母を500キロ先から呼びつけた。寂しがりやと同時に、金持ちであることが分かる。夏休みとなり、マレクはヴェネツィアに行けることを心待ちにしていた。ヴェネツィアの模型を作り、建物や通りの名まで覚えてその気十分。なにせ、家族でヴェネツィアに行ってないのは彼だけなのだから。しかし、ドイツの脅威が増し、父が将校で休暇がとれなくなったため、ヴェロニカ伯母さんの館のあるポヘイチェクに行かざるを得なくなる。 怒りと不満で一杯のマレク。精悍な顔立ちだ。
  
  

荷馬車に揺られてポヘイチェクの館に着くと、そこには、伯母さんしかいない。地下室に下りて行くと、棚の中にヴェネツィアの地図と写真が置いてあった。感慨にふけるマレク。館から出ると、村から来た手伝いフローシャに「ジッパー上げないと、小鳥さんが出ちゃうかも」とからかわれぶ然とする。森の中では幼馴染のソージャとばったり出会う。その夜はどしゃ降り。翌朝、3人で崖の端まで行って、ポーランド軍の駐屯地を見下ろしている。そのくらいしかすることがないのだ。フローシャはハイ・ティーンだが、ハンサムなマレクに興味津々の眼差しを向ける。戦争で、村には若い男性はいないのだ。
  
  

そこに、祖母、叔母のバルバラ、いとこのカロリーナとその家庭教師の計4人が到着し、一気に華やかになる。しかし、ちょうどその時、異様な音がして全員が空を見上げると、整然と飛ぶドイツ空軍の大編隊が見えた。戦争の恐怖がひしひしと迫る。
  
  

そんな中、マレクの母は、白十字(ポーランド版赤十字)に参加すると言って(実は浮気)、迎えに来た車で去っていく。「忘れないで。あなたは、ヴィクトル(兄)が戻るまで、家でただ一人の男性よ」とだけ言い残して。マレクは、母の車を必死で追って森の中を全力で走る。この映画は映像の美しいのが特徴だが、この辺りのスピード感のあるシーンも素晴らしい。
  
  

すぐに悲壮なラジオ放送が流れる。「戦争に突入した。国家的な目標はただ一つ。我々全員が兵士である。考えるべきことは戦いに勝つことだ」。ドイツ軍のポーランド侵攻が始まったのだ。孤独さにいたたまれないマレクは、ヴェネツィアの写真のあった地下室に行き、そこで寝入ってしまう。その間に水が入ってきて(理由不明)、地下室は水浸しに。濡れたせいでマレクは風邪をひいてしまう。その時、兄ヴィクトルが、戦火を逃れて家に辿りついた。「悲惨だった」「バスや汽車は、けが人や避難民で溢れ、どうすべきか誰も知らない」「混沌だよ」「自分だけが頼りだった」と話す兄。そんな兄が眠りについたベッドの傍らで、マレクは兄に向かって敬礼しながら、「僕らが生きてる限り、ポーランドは滅びない」と誓うのだった
  

風邪が治り、誰もいない駐屯地を見下ろす崖の所で、父からくすねたタバコをこわごわ吸っていたマレク。突然に、フローシャが声をかけてきた。「ジプシー風、知ってる?」。「ジプシー風って?」。「バカね。ジプシー風の吸い方よ」。「知らない、どうするの?」。嬉々として実行するフローシャ。自分のタバコに火をつけ、いっぱい煙を吸い込むと、おもむろにマレクにキスし、その煙を吹き入れたのだ。思わず咳き込むマレク。でも怒らない。フローシャは、「兵士が戻ってきてる」と話す。「僕たち、負けたのかな?」とマレク。「知らないわ」「訊くのが怖いし、兵隊は疲れてる」「頭を垂れて黙々と歩いてる」。「見れるかな?」。「何のために?」。「見たいだけ」。
  

見たくてたまらないマレクは、いとこのカロリーナを誘って、りんごを積んだ荷馬車にこっそり乗り込む。マレクの横に寝転がったカロリーナは、何とかマレクの気を惹こうとするが、マレクには全くその気がない。そして、歩いている兵士を、身を乗り出して見始めた。そこにドイツ軍機が襲来。兵士たちに容赦なく銃弾が浴びせられ、死角に入ったマレクの荷馬車を除いて、ポーランド軍は全滅してしまう。戦争の悲惨さに触れ、マレクは衝撃を受ける。
  
  

マレクは、母のいないポヘイチェクに嫌気がさすと、地下室に戻ってきてしまう。たとえ水浸しになっていても。しかし、その日は違っていた。マレクがブツブツ文句を言いながらたたずんでいると、突然陽が射し込んできて、辺りの情景が一変したのだ。薄汚れた家具は、光の中で水に反射し、聖堂の中にいるような荘厳な空間を造り出した。そこは、はからずも運命が垣間見せてくれた「ヴェネツィア」だった。
  
  

その日からマレクを含めた一族の生活は一変する。全員、この眺めが気に入ったのだ。夜、24個の四角い紙の照明器具に照らされた神秘的な空間で、カロリーナの友達のユダヤの少年ナウメク(Franciszek Serwa)がヴァイオリンを奏でる。戦争中とは思えない幻想的で美しいシーンだ。演奏が終わった後、カロリーナが追いかけていき、「飴 欲しくない?」と言って、口移しで飴をあげるシーンも光と影が美しい。
  
  

しかし、映画はその直後、戦争の現実と悲劇を衝撃的に見せつける。ドイツのSS将校が、部下にカメラを渡してもらい、誰かに向かって「もう少し元気に」「笑って。もっと」「それでいい」と静かに話す。何か、SSとはそぐわない平和なシーンだ。しかし、その後すぐ、「ヴァイオリンを渡すくらいなら、死んだ方がマシだと言いおった」と部下に話し、いきなり拳銃を手に持つと2発打つ。そして、カメラがパンすると、そこにはナウメクの死体がころがっていた。
  

ナウメクの射殺に衝撃を受けるカロリーナ。母親のクラウディナ叔母は、カロリーナの願いを容れて、自分のグランドピアノを、「ヴェネツィアは、ヴェネツィアらしくしないと」と言って地下室に移してやる。冬が近づき、木の幹に付けられたマリア像の木箱に寂しげに立つマレクの周りに粉雪が舞い始める。美しいシーンだ。マレクには、母からも父からも何の知らせもない。つららの垂れるような地下室で、バルバラ叔母の弾くピアノに耳を傾けるマレク。「母様も父様も、手紙一つくれない。こんなことって、ある?」。
  
  

平穏な冬が過ぎた2月末、待ちに待ったヴェネツィアのカーニバルの日だ。地下室で開かれた戦時中とは思えない祭典。水にゴンドラに似せた木箱を浮かべ、イタリア風のストローハットを被ったマレクが葡萄酒を配る。「カーニバルの皆さん」「新人のゴンドラ船頭が参ります」「ヴェローナ産の赤ワインを乗せて」「乾燥させた葡萄から造りました」「あっさりした飲み口で」「果物のようなブーケも」。マスクをしたバルバラ叔母がグランド・ピアノを演奏し、ヴェロニカ伯母は顔を白く塗っている。そこに突然SSの映画班が押し入ってくる。生命の危険はないが、宣伝用と称して写真や映画を撮り始める。せっかくの祭典が台無しだ。
  
  

春が来て、秋となり、そしてまた春。その間、地下のヴェネツィアは、伯母・叔母たちの不満のはけ口の場となったり、いとこ同士の会話の場となったりした。いとこのソージャとカロリーナは、下着姿で泳いだ後、「サン・マルコ広場」で話に熱中する。ワインをソージャに勧め、「飲みなさい。早く経験しないと」「タバコも、男の子を抱くのも」「戦争中だから明日にも死ぬかも」。そして、タバコも吸う。「キスしたことは?」とソージャが訊く。「あるわよ」。「マレクと?」。「あのね、彼はガキなの」。そして、最後にソージャがカロリーナからペンダントを譲り受けるシーンがある。この映画で最も重要な、あのペンダントだ。
  

この辺りから、場面は急展開していく。まず、健康のため屋外で走っていたヴェロニカ伯母が、ドイツ軍機からの銃撃で即死する。遺体を安置した隣の部屋では、祖母と3姉妹が死を悲しんでいる。最初。祖母とは離れて座っていた3姉妹だったが、一人また一人と祖母の元に寄って行く。寄って行った後も、祖母を囲む3人の微妙な距離感が絶妙だ。少し離れているのが、一番年下で裕福なクラウディーナ叔母。長いシーンだが、画面は固定して動かない。まさに絵画だ。
  

兄のヴィクトルは、ピストルを手に入れ、ポーランド人でありながら、ドイツ軍に取り入っている医者の処刑を狙っていた。ある夜、実行に出掛ける兄の後をマレクが追う。ヴィクトルは2発撃ったが、小口径のため死なずに兄と争う医者。マレクは、煉瓦を何度も叩きつけて殺す。ヴィクトルより、よほど決断力がある。
  

人を殺したことにショックを受けて、マレクは好きなヴェネツィアで水死しようとするが、死にきれず、母に救われる。そして、ここから謎めいたラストシーンが始まる。まず、マレクの独白が入る… 「そして、聞こえてきたのは母様の言葉、“愛してるわ”」「ここは、ヴェネツィアなんだ」「それとも、雪の野原かな」。
  

ここで画面は、突然1945年の冬、雪の野原に切り替わる。大きくなったソージャがトラックから降りて、館に入っていく。地下室からは、ソ連の将校が弾くチャコフスキーの音が流れてくる。地下室に下りて行き耳を傾けるソージャ。しかし、将校は演奏を終えると突然機関銃を乱射し始める。ソージャは即死、首にかけていたガラスのペンダントが地下室の水に落ちていくファースト・シーンが再現される。ソージャの死は最初から想定されていたのだ。
  
  

そして、場面は暗転し、4年前のマレクの独白の続きが流れる。「…僕は、ソージャと結婚するだろう」。これは、実現しなかった過去の悲しい希望である。

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