フランス・カナダ映画 (2013)
10才のカイル・キャトレット(Kyle Catlett)が主演する、コメディ・ダッチのハートウォーミングなロード・ムービー。「天才」というのは、原題の“Prodigious”の意訳だが、ニュアンスがちょっと違う。実際、彼は、頭もいいが、それよりも、普通なら考えもつかない「思い切った行動」をずっと取り続けている。3Dの使い方は、確かに斬新だが、日本発売のブルーレイは2D版。これでは監督も無念だろう。ヘレナ・ボナム=カーターはあまり登場しないが、一旦登場すると、さすが存在感は大きい。
T.S.は、体の小さな10才の頭のいい少年。いつもアイディアを出しては、ディスカバー誌に送っている。この小さな天才が、アメリカを代表する学術の殿堂スミソニアン協会からベアード賞(架空)を受賞したとの電話をもらうところから映画は始まる。元々原作では、精密な生物画集に対して賞を与えられることになっているのだが、映画化にあたって視覚的に見栄えのする永久機関に変更された。しかし、磁石を使った擬似永久機関などに、権威ある賞が与えられることなど絶対にあり得ない。ここが、この映画の一番の弱点だ。それはさておき、カウボーイなりきりの父と、昆虫採集に夢中の生物学者の母という変なカップルに挟まれ、家の中では存在感のないT.S.は、家族に黙ってこっそりスミソニアンのあるワシントンへと向かう。その間の列車の旅は、大自然の中を行く鉄道が素晴らしい。鉄道ファンではないが、見とれてしまう。無銭旅行で、西の果てのモンタナからスミソニアンに辿り着くが、受賞者は大人だと思っていた関係者はびっくり。しかし、死んだ双子の弟への追悼を交えた受賞スピーチは招待客の感動を呼び、マスコミに引っ張りだこにされる。しかし、両親は亡くなった、と嘘をついていたことがバレ…
カイル・キャトレットは、実際は別かもしれないが、見ていてそれほど天才を感じさせない。また、「思い切った行動」をするような子供にも見えない。あまりにも、オドオドし過ぎている。これは、演技指導のせいだと思うのだが、表情も画一的で、あまり魅力を感じさせない。
あらすじ
ビュート歴史博物館での講演会。演題は「永久機関」。T.S.は、大人に混じり熱心に聴いている。講演者は、最後に、「こうして話している間にも、この国のどこかで、若きレオナルト・ダ・ヴィンチが挑戦を続けていることでしょう」と締めくくる。少ない聴衆の消極的な反応にがっかりした講演者。T.Sは寄っていくと、「先生、僕はモンタナのレオナルドです」「挑戦を受けます」ときっぱり宣言する。
8月の夏休みも終わりに近付いた頃、戸口で、T.S.と姉がトウモロコシの皮を剥いている。そこに電話がかかってくる。母に言われてT.S.が出ると、相手はスミソニアン博物館の次長で、T.S.と話したいという。これは、自分が送った永久機関の図面に関することだと思い、とっさに、“T.S.=自分の父” にしようと考える。そして、「待って」と言い、「父さん、電話!」と叫ぶ。足をドンドンさせて、大人が寄ってきたように思わせ、「父が来ました」。そして、父は口はきけないが耳は聞こえるので、自分が手話で通訳すると話す。これなら、T.S.一人で二役ができる。「スピヴェットさん、あなたの発明が、名誉あるベアード賞を受賞しました」と言われ驚くT.S.。しかし、1週間後の150周年記念祝賀会で受賞スピーチをしてくれと言われ、はたと困り、仕事が山積しているので行けないと断る。
電話が終わり外へ出ると、姉から長電話のことを皮肉られ、「ニューヨークの記者が、僕のやってることで取材したいから来て欲しいって」と、似て非なる嘘を。姉は「このウソつき」と言うが、心の中では半分信じて、羨ましさに悶えている。
T.S.は、他にもいろいろ、応募している。「エンパイア・ステート・ビルのてっぺんから、如何に割らずに生卵を落とすか」という課題に対し、図面を描いているエピソードもある。夏休みが終わり、学校に持っていった宿題では、無理解な教師に「C+」(合格最低点)を付けられる。そして、「ちゃんと書かれてはいるが、いつも通り、課題から逸れている」「モンタナの湖沼群の配列と、カナダ雁の東西の回遊パターンの間に、何の関係がある?」。それに対し、「先生、序文を読んでいらっしゃらないんじゃ…」。「皆より頭がいいと思ってるんだろ? 図は確かにきれいだ。だが、科学的に間違ってるぞ」。「本当ですか? これをディスカバー誌に送ったら、気に入って載せてくれました」。そう言って、雑誌を開いて見せる。先生の顔は丸つぶれだ。それを怒りでごまかす最低の教師。映画の後の方で、10才で6年生と本人が言うので、2年飛び級していることになる。そのあたりがこの場面には反映されていない(ウケ狙いで、脚本が破綻)。
順不同になるが、映画では、T.S.の弟レイトンが生きていた頃の映像も流れる。食卓を囲む5人の家族。この席順は原作と違っているし、論理的にもおかしい。本当は、姉とレイトンの席が逆なのだ。父のお気に入りのレイトンは父の横でいつも話し、T.S.は母と話すことが多かった。映画のように座っていては、父とレイトンが話せない(脚本か演出のミス)。このレイトンは、二卵性双生児で、体格が大きく活動的。か細くて神経質で頭のいいT.S.と対照的だ。それでも2人は、T.S.の努力もあって仲が良かった。レイトンが昨年命を落としたのも(原作では今年2月、受賞スピーチでも今年と言っている。これも脚本ミス)、発端は、何とか一緒に遊ぼうとして、レイトンの持っている全部の銃の発射音の波形を記録しようとしたことに起因する。そのせいで、調子の悪いウィンチェスター銃が暴発し、死んでしまった。この点に、T.S.は責任を感じている。
父は、T.S.には冷淡で、牧場への水の供給を改善しようと、せっかく立体模型を作って父に見せに行き、「ここから そこまで掘れば、澱んでたり蒸発してた水が流れ込んで水量が増えるよ」と説明しても、「机上の空論だな、下らん」。それから2ヶ月後、家の前でスクールバスを降りたところで、父に声をかけられた。「手を貸してくれるか?」。そして、水不足だから水門を開ける手伝いをしろと、車に乗せられる。T.S.には初めての体験だ。車に乗りながら、弟が200ヤード(182m)離れてコヨーテを撃ち、父が感銘して、カウボーイハットを被せてやったことを、「僕には絶対に起きない特別な瞬間だった」と振り返る。
一方、母は、昆虫の標本収集とその分類が専門の生物学者だ。家事の他は、一日中そればかり。ある日T.S.は、母に向かって、存在しない種の昆虫を、すべてをやめて、1年間探し続けているねと指摘する。「すべてをやめて」という言葉に引っかかり、それは、母親としてなのか学者としてなのかと尋ねる母。そのことを考え続けた母は、かなり時間が経って、できれば一緒に昆虫採集に行かないかとT.S.に持ちかける(レイトンの死にかまけて、T.S.をほったらかしにしていたことへの反省)。しかし、その時には、T.S.はワシントンに出かけることに決めていたので、学校があるからと断る。
その夜、T.S.は、大人の声に聞こえるよう、金属製のゴミ箱に受話器を入れ、モンタナ大学の学長になりすまし、T.S.スピヴェット氏が明日出発し、連絡はつかなくなるが、受賞スピーチには間に合うと、スミソニアンの次長の留守録に入れる。以前の電話で、次長はスピヴェット氏がモンタナ大学の教員だと思い込んだからだ。ここも不思議で、口のきけない教育者というのは、確率的にほぼゼロに近いと思うのだが… この映画には、脚本に穴があり過ぎる。電話の後、T.S.は、明け方までかかって荷物を作る。そして、出がけにレイトンの部屋に寄り、「僕がやったこと、ごめんね」と謝る。そして、しばらく仕事で留守します、云々と置手紙を残し、体の割には巨大なカバンを引きずって1階に下りる。
家から、大陸横断鉄道の線路までは台車に載せて出発。ちょうどその時、父の車が脇を通っていった。もう夜が明けているので、父には自分が見えたはずだ。そこで彼は、「なぜ、父は停まらなかったのか? 僕が、お気に入りの息子の死の原因者だから、牧場から追い出したかったんだ」と悲しむ(実は、気付かなかっただけ)。線路までは2640フィート(805m)、自分の歩幅とスピードから分速198フィート(60m)と割り出し、列車の通過時刻が5時44分。もっと急がないと遅れてしまう。こうした頭の中の思考を3Dで見せるやり方は斬新だ。線路に到着。駅がある訳ではないので、信号機のライトを赤マジックで塗って赤信号に変える。列車が停まったところで、フラットな貨車に荷物を押し上げる。イタズラに気付いた警備員が来たので、動き出した列車にベルトコンベアからダイビング。これはカイル本人のスタントだ(危ないので列車は停止、CGで動いているように見せている)。
モンタナ州から1つ南のワイオミング州まで(といっても、撮影はカナダだが)の列車の映像はなかなか見応えがある。ここでは、お気に入りを2枚。1つは湖に沿って延々と続く列車。もう1つは、かつて兵庫県にあった余部鉄橋のような橋を渡る列車。長い列車はCG。
キャスパーの操車場に着くと、事前連絡を受けた警備員が無賃乗車の少年の摘発に乗り出す。慌ててバッグをすぐ後ろのRV車に隠すT.S.。ここで、予告編にもあった傑作シーンが見られる。RV車内に展示してあった宣伝用の “仲のいい夫婦でどうぞ” 人形(紙に貼った写真)の間に、如何にも同じ人形のように笑顔でじっと我慢するT.S.。意表をつく傑作なアイディアだ。列車がポカテロに着いた時、空腹が限界にきていたT.S.は、車内から見つけたホットドッグ屋に急行。さっそく注文するが、そこにパトカーがやって来て、「モンタナの子が、家出か誘拐された」と言って顔つきポスターを貼る。ヒヤヒヤしてうつむくT.S.。
かくして、列車は終点シカゴに到着。あまりに荷物が重いので、操車場にあった計器ボックスにしまい込み、肩掛け一個になる。そこに、鉄道会社の警備員が車で通りかかる。不法侵入で詰問する警備員に、わざとロシア語で話すT.S.。「何 言ってやがる、このクソガキ。どっから来た?」。「チェルノブイリ」。これで完全に頭に来た警備員。逃げるT.S.を走って追いかける。運悪く、運河の閘門のゲートに載ってしまったT.S.。船が来るのでゲートが開き始める。もう行き場がない。「一巻の終わりだな、クソガキ」「どうした、飛び移ってみるか?」と小ばかにする。ところが、切羽詰ったT.S.は本当に反対側のゲートに飛んでしまった。ゲートの手すりに必死でつかまるT.S.。警備員は、死んだら自分の責任になるので、「しっかりつかまれ。下を見るな。足をかけろ」と必死に声をかける。やっとのことで、這い上がったT.S.。ゲートが完全に開いたので、警備員はもうこちらには来られない。しかし、飛んだ時に胸を打ってしまい、痛くて歩くのもやっとだ。
シカゴからヒッチハイクでワシントンに行こうと、高速のランプで手を上げるT.S.。拾ってくれたのは、大型トラックだ。痛そうなT.S.を見て、「どうした、悪そうだな?」「見せてみろ」。大きな青あざを見て、医者に行くよう勧めるが、「平気だよ」の返事に「大した奴だ」。そしてワシントンに連れていってくれる。本来の目的地がヴァージニア・ビーチだったから、シカゴからだと200キロちょっと寄り道になる。実に親切なおじさんだ(このあたりは映画では説明されていない。原作から引用)。スミソニアンの真ん前まで連れてきてくれたおじさん。別れ際に、「何をしようとしてるか知らんが、やり通せ」「ぐらつくな」「がんばれ」。そして、手をがっしり握る。
T.S.は、スミソニアン博物館の受付で、次長に話したいと頼む。さらに、「僕、明日の夜 ここでスピーチします」。名前を聞いて驚く受付係。次長への電話で「9才か10才で、すごく小さいんです」。飛んできた次長に、「僕、T.S.スピヴェットです。間に合いました」。「先週金曜日に電話に出たのは、あなた?」。「はい」。「で、お父さんは?」。「実は死んでます。嘘を付きました」。「では、磁石車輪の試作品を送ったのは誰?」。「僕です」。「あなたが発明したと、信じろというの?」。「いいえ。僕は 何も発明してません」。ここで次長は見限るが、T.S.が続けて「僕はただ、原子核の周りに引き付けられる電子の法則を転置しただけです。だって、永久機関の実現には負のエントロピーの存在が必要ですから(つまり、実現不可能)」と言うに及び、本物だと納得する。
さて、受賞スピーチ。最初は戸惑っていたT.S.だが、「3つ、お話ししたいと思います」と始める。「1番目。ありがとうございます。予期していたより若かったからといって、賞を取り消さないでいただいて」。「2番目。ご覧のように、装置は磁石から力を得ています。ご存知のように、400年ほどで磁力はなくなります。人間の尺度では長いのですが、地質年代では ほんの一瞬でしかありません。ですから、永久機関とはほど遠いのです」。ここで、言いよどむT.S.。理事長から促されて、「そうですね。3番目…」。そして、意を決して、心の底に澱んでいた “弟の死をめぐる顛末” について詳しく語り始める。時々言葉を詰まらせ、辛い心境をとつとつと語る。学者中心の参加者にもかかわらず、この受賞スピーチは感動を呼んだ。スタンディング・オベーションを受けるT.S.。次長は大喜びだ。
宿舎に向かう車の中で、窓ガラスを伝う雨粒を見ながら、T.S.の独白が入る。「水滴が素晴らしいのは、常に最小抵抗経路を通ること。人間は、その正反対だ」に始まり、弟と愛犬の友情が、姉との友情に変わることで、ようやく愛犬が弟の死を受け入れたと回想する。T.S.が、まだ弟の死を受け入れてない(つまる、罪の意識から解放されていない)ことが分かる一瞬だ。この回想シーンで出てくる、長い影のシーンは、何かを暗示しているようで面白い。
受賞スピーチの成功を受けて、取材依頼が殺到する。次の日、人気の高いテレビ番組にゲストとして招かれたT.S.。「今日のお客様は、今週の話題をさらった、科学界のモーツアルト、T.S.スピヴェット氏。わずか10才で、多くの科学者を差し置き、本年度のベアード賞を獲得しました」で始まり、型どおりのインタビュー(2人の背後に置いてあるのが “永久機関”)。しかし、途中で、「ここで、特別なゲストをご紹介しましょう。T.S.のお母さん、クレア博士です」。今まで、孤児だと嘘を言ってきたT.S.は大慌て。TV局も、必死で特ダネを探してきたのだ。そこで、「クレア博士。モンタナにお住まいの、T.S.のお母さんでよろしいですね?」とわざわざ念を押す。そして、「T.S.、なぜ、マスコミに孤児だと言ったんだい?」と質問する。賞をもらえず家に帰されると思ったと答えるが、バツの悪さは変わらない。幸いここで、質問は母クレア博士に。急に姿が消えて、心配されたでしょうと訊く。キャスターの差し出口を押し留め、T.S.に言い聞かせるように話す母。「子供に銃を贈ったこと… 子供たち2人だけで監視もせず銃で遊ばせたこと… それは、いいことかしら?」「あなたは悪くない。誰も悪くないの」「事故だったのよ。お父さんが言ったように、起きたことは、たまたま起きただけ」。涙を流して聞き入るT.S.。そして、母が、ヤブから棒に「もう帰りたい?」と訊くと、「帰る」と言って抱きつく。体が小さいので、文字通りに。これで、T.S.の心の “おり” も吹っ切れた。そして、キャスターの制止を無視して、番組の途中で席を立つ。
楽屋裏の通路で、T.S.を「この嘘つき野郎」と罵るスミソニアンの次長を母がひっぱたき、追いすがるキャスターを出迎えに来た父が殴りつける。父はT.S.に、「お前が無事なら、それでいい」と言うが、「じゃあ、俺は、唖(おし)で、死んでるのか」と皮肉る。にこやかに。T.S.は、「ごめんね、パパ」と謝った後で、「朝、僕を見つけたのに、なぜ停まらなかったの?」と訊いてみる。「誓って、見なかったぞ」。これでT.S.の最後の不安も解消し、晴れ晴れと、父のカウボーイハットを被るのだった。T.S.にも起きた “特別な瞬間” だ。
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