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Lo imposible インポッシブル

スペイン映画 (2012)

スマトラ沖大地震による大津波に襲われたクリスマス休暇中の一家の様子を克明に描いたスペイン映画。なぜ、スペインかと言うと、主人公のこの一家がスペイン人で、ケガを負ったマリア・ベロンがスペインのラジオで話したことがきっかけとなって映画化されたからである。脚本は実体験に基づいて忠実に作られ、可能な限り現地で撮影され、津波シーンも特撮を極力排して巨大な水槽を用いて実写で撮影された。唯一違うのは、テーマの普遍化をはかるため、主人公をスペイン人からイギリス人に変えたこと。そのため主役は、14才のトム・ホランド(Tom Holland)とナオミ・ワッツ(Naomi Watts)となった。父親役はユアン・マクレガー(Ewan McGregor)、次男のトマスはサミュエル・ジョスリン(Samuel Joslin)。名前は、スペイン名からイギリス名となったが、主人公のマリアの名前だけは引き継いだ(英語ならメアリーになるはず)。

映画は、12月26日にタイのプーケット島を襲った大津波により二分され、お互いに相手の消息が分からないという極限状態に置かれた一家の姿を追う。ハリウッド流の災害パニック映画ではなく、二手に分かれ、それぞれ問題をかかえた家族が、いかに苦労し、悩み、そして困難に立ち向かおうとしたかの事実を、克明に、淡々と、ある時は感動的に描く。人間ドラマである点が素晴らしい。東日本大震災による津波被災を受けて、津波を描いた映画が自粛される一幕もあったが、この映画はそのような次元の低いものではない。自ら重傷を負いながら他人を助ける母マリア、病院内で自主的に不明者捜しを行う長男ルーカス、必死に妻子の姿を捜し廻る父ヘンリーの姿に人間としてのあり方を考えさせるところに、この映画の最大の魅力がある。

トム・ホランドは、ビリー・エリオットのミュージカル化で主役も務めた舞台派。しかし、ここでは大災害に巻き込まれ、母を守ろうとする少年の役を見事に演じきっている。微妙な表情の変化も素晴らしい。この映画だけで18の賞でノミネートされ、8つ受賞しただけのことはある。次男を演ずるサミュエル・ジョスリンは、小さな役だが、イギリスの子役だけに基礎はしっかりできている。


あらすじ

2004年12月24日、クリスマス休暇をプーケット島に過ごすため飛行機に乗っている父母と3兄弟の一家5人。全員がビジネス・クラスなので裕福なことが分かる。島が近付きエアポケットに入って機体が揺れると、母のマリアは緊張する。着陸態勢に入った時、次男のトマスが母の席にやって来る。「何してるの。着陸するから座ってないと」。「ルーカスが、口きいてくれない」。ベルト着用が指示されているので、母はすばやく席を交替し、ルーカスの隣へ。「もっと弟に優しくないと。怖がりさんなんだから」。「あいつ、怖がってばかり」「誰かさんそっくり」とニヤり。母のことを指しているのだ。
  
  

オープンしたての豪華なホテル。部屋は予約した3階ではなく、より贅沢なビーチ・コテージ。クリスマス休暇で満員なのだ。こうしたクラス・チェンジはラッキーだ(後の津波にもこのチェンジは関係しない)。一家は、日中は泳ぎ、夜はプーケット名物のランタン飛ばしをと、休暇を満喫している。3日目の朝、兄弟はピンポンの後、プールに入って赤いビーチ・ボールで遊んでいた。
  
  

ところが、この日早朝7時59分に、マグニチュード9.3のスマトラ沖大地震が発生していた。遠く離れたプーケットでは立っていないと分からないほどの揺れで誰も気付かない。そして、2時間後の10時、突然津波の第一波がカオラックの海岸を襲った。高さは10メートル。ビーチ・ボールを手に呆然と波を見るルーカス。そして波から身を守ろうと水に潜ろうとする父と二・三男。
  
  

津波はホテルを乗り越え、内陸に向かってごうごうと流れていく。最初ヤシの木にしがみつき、自分以外はみんな死んだと思い、泣き叫んでいた母マリア。すると、「ママ。助けて!」という声が聞こえ、ルーカスが流されていくのが見える。助けようと手を離し、激しい流れに乗って、ルーカスの後に続くマリア。このシーンは凄まじい。ハリウッド式の特撮ではなく、スペインの地中海岸にある都市アリカンテの海岸に造られた世界最大の巨大水槽に津波と同じような水流を起こして撮影しただけに、リアルな迫力には圧倒される。いつもの画像サイズと違い、実際のスクリーン・サイズを使った5枚連続写真でそのシーンを紹介しよう。最初は遠くの点に見えたルーカスが、空中自走カメラの高速接近で、どんどん近付いてくる。
  

津波に翻弄される母子。しかし、最初の津波が襲って20分後、反対側から第二波の津波が襲ってくる。マリアは、2回の津波の中で突起物に体をぶつけ、右足のふくらはぎに大きな裂傷、胸にも大ケガを負ってしまう。それでも、何とか2人は濁流の中で一緒になり、正面に見えた倒木にしがみつくことができた。不安で泣き出すルーカス。「自分では勇敢だと思ってた」「すごく怖い」。母は、「もっとこっちに」と抱いて、「私も怖いの」と耳に囁いてやる。
  

濁流が収まり、泥沼のようになった葦原を歩く2人。母の下肢がざっくりと割れ、血が流れ出している。正視できなくて後ろを向き、「ごめんなさい」と言うルーカス。しばらくして広く見渡せる水面に出た時、正面には、次に波が来た時に助けになるような大木が見え、同時に、助けを呼ぶ幼児の声も聞こえた。二者択一を迫られる2人。「救助が要るのはママの方だ」とルーカス。「絶対あきらめない」とマリア。これは脚本上のでっちあげでなく実話だ。これだけのケガを負って他人の子を助けるマリアは、実に立派だと思う。救出した幼な子を抱きしめるルーカス。
  

大木まで脚をひきずりながら必死で辿り着いたマリア。最初は自力で登れるとルーカスの手助けを拒んだが、痛くてどうしても登れない。見かねたルーカスが、両手の指を組んでステップを作り、そこに足をかけさせる。そして次はルーカスの肩に。顔をしかめ全力で重みに耐えるルーカス。そして、やっとの思いで太い枝に横たわることができた。「ありがとう」。このあたり、悲惨なシーンだが、困難な状況に対面した一人の少年の自立がよく描かれている
  
  

遠くから人声が聞こえてきた。地元の村人が被害を調べに来たのだ。大声で呼びに行くルーカス。運搬手段がないので引きずられていくマリア。親切な老人がタイ語で元気付けてくれるが、苦痛は限界に近い。ようやく村に着く。この辺りは、津波の被害を受けていない。女性が集まってきて服を着せてくれる。男たちは、わざわざ家のドアを外して担架にし、毛布を敷いてそっとマリアを乗せ、そのままトラックの荷台へと運ぶ。「バラバラになったら最後よ」。「心配しないで」「一人にはしない。約束する」とルーカス。
  

病院は被災者で大混雑だったが、村人たちは緊急性を訴えてちゃんとベッドまで運んでくれた。言葉が通じないなりに「ありがとう」とくり返すルーカス。マリアは、入ってきた医師に「あの子には、もう私しかいない」と生きる強い意思を示した後、自身が医者なので、「多量に失血したので至急止血を」「抗生物質の投与を」を依頼する。救急処置が終わり、ベッドが並ぶ病室へ。そこでルーカスに脚の色を訊く。赤ければいいが、黒くなれば壊疽による敗血症なのだ。幸いまだ赤い。落ち着いてからルーカスが、「何か食べなくちゃ。さあ」とみかんを勧める。「口出し過ぎ」とママ。「誰かさんそっくり」とルーカスがニヤり。ここは、冒頭の機内と全く同じ台詞なので、悲惨な環境ながら笑ってしまう。しかし、ここで容態が一変、母が咳き込み出す。あまりにひどいので看護婦が飛んでくる。激しくもだえる母の口から、津波の際に飲み込んだ異物がひもに絡まるように長々と出てくる。顔を背けて、思わず吐きそうになるルーカス。
  

悪いものが出て落ち着いた母。病室内の忙しそうな様子を見て、「あなたも、何かしないと」「助けてらっしゃい。上手でしょ」。「何して欲しいの?」。「何でも」「できることを」と母。「大丈夫なの?」。「どこにも行かないわよ。約束する」。ルーカスが病院内をあてどなく歩いていると、「ベンストロム」と叫んでいる男がいる。片言の英語だが、子供が3人行方不明で捜していると分かり、「捜してきてあげる」と出かける。名前を呼んで捜していると、他からどんどん、うちも捜してという声がかかり、読み上げる名前がどんどん増えていく。そのうちに、「モーテン・ベンストロム?」という呼びかけに「はい」と答えが返ってきた。その子も、ルーカスも大喜び。さっそく父親を呼びに行く。親子の奇跡的な再会をドア越しに見るルーカスの笑顔がとてもいい。
  
  

しかし、喜び勇んで母のベッドに戻ると、そこには誰もいない。動転して大声で「ママ」と叫ぶルーカス。別の患者を母のベッドに載せるスタッフに抗議するルーカス。英語を話せる女性が飛んできて、「着いてきなさい」と控え室に連れて行き、名前など簡単な事情を訊くと、胸に「ルーカス・B」と手書きした紙を貼り付けた。ルーカスが周りを見ると、胸に名札を貼った子がいっぱいいる。ここは親を亡くした子がいる場所に違いないと思い、ルーカスは悲嘆にくれる。
  
  

一方、泊まっていたホテルでは、父と二・三男はブールに飛び込んだお陰で命拾いをしていた。父は、いなくなった妻と長男の名を呼んで、瓦礫の中を必死で捜し回る。夜になり、ホテルが避難用の車を用意するが、父は子供2人だけを乗せ、自分はもっと捜すと言ってホテルに残る。「朝に会おう、いいね?」。「来ないの?」と三男。「いかないよ、チビ君、トマスがいるだろ」「いいかい、ちゃんとするんだ」「すぐに一緒になるから」と言って送り出す。しかし、現実は甘くなく、夜の捜査で転落してケガをしてしまい、途中で車に助けられて避難所へ。そこで、親切な男性に携帯を借り、実家に電話する。ひょっとして妻から連絡があったかもしれないと一縷(いちる)の望みをかけて。しかし、連絡は入っていなかった。「マリアとルーカスがいない」。「“いない”、って?」。「波がきて、さらわれた」「トマスとサイモンは見つけたが、マリアとルーカスはどこかに」「どうしていいか分からない」。こう言って泣き崩れる父ヘンリー。
  
  

再度病院で。昨日の女性がルーカスに声をかける。何事かと付いて行くと、そこにはやつれた母がいた。腕には違った名前が書いてある。病院のミスで、入れ替わってしまっていたのだ。「いったいどこにいたの」と母。「よく言うよ」「ママの方こそ」「どこにも行かないって、約束したくせに」「消えちゃった」「死んじゃったかと」。文句を言いながらルーカスは喜びに溢れていた。そして、思わずママを抱きしめる。しかし、母に脚の色を訊かれ、「まだ赤い」とは答えたものの、実際はそうではなかった。慌てて女性に駆け寄り傷が悪化しているから診て欲しいと頼み込む。
  
  

父は、朝からあちこちの病院を捜し回り、遂にルーカスたちのいる病院に来た。掲示板に名前がなくがっかりするが、中を歩き回る父。それを偶然見つけて追いかけるルーカス。一方、ホテルから避難した後、父と別れてしまったトマスたちも、偶然同じ病院に立ち寄っていた。ルーカスは父の姿を見失い、人ごみでいっぱいの駐車場で全身の力を込めて「パパ」と叫ぶ。その声に最初に気付いたのが弟たち。「ルーカスだ」と言って駆け寄り抱きつく。そして、次には父が。とても感動的なシーンだ。
  
  

その場で、「ママがここに」と聞いた父は、マリアの元に駆け付ける。そこには衰弱した妻マリアが横たわっていた。酸素のマスクを外してキスをするヘンリー。その時、マリアは意外なことを口にした。「これで眠れる(I can rest now)」。“rest”には永眠するというニュアンスもある。要は、これまでは自分が死ぬとルーカス一人になるので頑張ってきたが、任せられる人が来たので安心して死ねる、という意味だ。そして、「私 死ぬの」「子供たちをよろしく」。その時、ようやく手術のお呼びがかかる。ベッドの脇で、手術室に行ったマリアを待ちながら、父がルーカスに言う。「ママを助けてくれてありがとう」。ルーカスは、「助け合ったんだ」。いい言葉だ。そして、病院スタッフのお陰で、マリアは危機から脱することができた。
  
  

最後は、あっけないほど簡単だ。いきなり旅行保険会社の計らいで、専用の小型ジェット機でシンガポールの総合病院へ。しかし、これは実話なのだから、「悲惨な現地からいち早く逃げ出した」と捉えるのは間違いだ。偏見は捨て、飛行機の中でのラストシーンを素直に見るべきであろう。離陸直前に、ルーカスは母に向かって、津波の最中に苦労して助けた子供が父親と再会できたよと話す。その優しさに、母は「ルーカス、愛してるわ」「ほんとにありがとう」と抱きしめる。席に戻ったルーカスは、改めて自分の胸の名札に気付いて剥がす。そして離陸。窓の外の被災地を見る母マリアの目から流れる大粒の涙。ほとんど動きも会話もないナオミ・ワッツが、アカデミー主演女優の候補になったのも頷ける。
  
  

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