アメリカ映画 (2011)
サンダンス映画祭でひときわ注目を浴びた実験的かつ詩的な映像に溢れた映画。ヘント(ベルギー)、タリン(エストニア)、ナッシュビル(アメリカ)の映画祭で受賞。オースティン・ヴィッカーズ(Austin Vickers)は、2つ短編映画に出ただけで、これが長編映画初出演にして初主演。直接の会話はほとんどなく、ほとんどすべてが独白かテープ録音で成り立った映画なので、それほど負担にはならなかったかも。
登場人物は、18才のジェス(Sarah Hagan)と12才のモス(Austin Vickers)の2人だけ。2人は、またいとこだが、ケッタッキーの人里離れた田園地帯で、他に誰も遊び友達がいないような状況での、ひと夏の、楽しい体験と、お互いの旅立ちを描く。2人の直接会話はほとんどなく、2人の会話の音声録音(画面と音声が不一致)、2人の会話の劇中のテープ録音音声、ジェスの母親の昔のテープ録音音声、「記憶力を増す」という触れ込みでかつてアメリカで流行した「メガメモリー」のテープ音声が複雑に交錯し、映画のシーン自体も過去と現在が交差し、一回見ただだけでは完全には理解できない構成になっている。それに輪をかけているのが、監督自らが保管していた年代の異なる古いフィルムを多用していることで、色落ち、変色、粒子の粗い映像が、シーンごとの特性と相まって独特の雰囲気を醸し出している。こうしたトリッキーな構成にもかかわらず高く評価されているのは、全体を貫くノスタルジックで、しっとりとして、どこか切ないトーンが見事だからであろう。
オースティン・ヴィッカーズは、長編映画が初めてだが、演技は自然で(というより、自然そのもので)、違和感は全くない。年令相応の、いかにも田舎育ちといった感じのする、素朴で、しかし、かなり可愛い顔立ちの少年だ。
あらすじ
高校を中退して、ただブラブラしている18才のジェスと、6才年下のモスは、普通なら考えられない組合せだが、住民の少ない片田舎では、2人の両親がかつて友達だったというだけで、十分仲良くなる理由となった。2人の行き着けの場所は、かつてのモスの両親の家。モスの両親が自動車事故で亡くなったのはモスが2才の時。以来、モスは祖父母の家に引き取られ、両親の家は廃屋化していた。今日も、自転車で家に向かう2人。先に着いたモスが「急いで」とせかす。そして、ジェスが走ってくると、ドアを開けて「お先にどうぞ」。でも直前で割り込み、ジェスが「こら」と叱る。いかにも気心が知れている。
モスの一番の趣味は、ジェスとの会話を録音することだ。録音しておかないと、忘れてしまうかもしれないので不安なのだ。だから、モスは「メガメモリー」の教材テープも聞いている。「もっと お金が欲しくありませんか? もっと利口になって、会う人を驚かせましょう。『メガメモリー』 を学べば、それが全部できます。話がうますぎると思いません? 大丈夫。このコースをとれば、あなたの記憶は確実に500%増えます」という、アメリカで有名になった詐欺テープだ。これで、幼児の頃の記憶を取り戻そうというのが、モスの切なる希望。暇さえあれば聴いている。
2人、特にジェスが好きだったのが花火。暗くなると花火で遊ぶ。花火大会では、ジェスが、「花火、大好き。魔法みたい」と言う。そして、手持ちが減ってくると、ジェス:「残ってるのは、どんな花火?」。モス:「少ないよ」。「具体的には?」。「ロケット花火が数本」。「打上げ花火やってみたい」。「それって素敵だね。お小遣いを貯めれば、少しは買えるかも」。「花火って、世界で一番クールじゃないかな」。
モスが好きな“物”は苔。名前と同じだ(“moss”は苔)。森で集めては、ガラス瓶に大事に入れて、廃屋のあちこちに置いている。顕微鏡で、いろいろな微生物を見るのも気に入っている。
2人は、いつも一緒だ。①貨車にタダ乗りしてみたり、②タバコを吸ってみたり(モスは口にくわえるだけ)、③投げたお菓子を口で受けたり。果ては、④寄ってくる蚊を叩いたり。「ねえモス、蚊が血を吸ってるわ」。「わあ、一杯だ。なんで、僕ばっか刺すのかな」。「あま~い、からよ」。「ジェスったら」。この「甘い」の表現には、ジェスの心の一端が感じられる。
一方の、ジェス、廃屋に来ると必ずやったのが、母のテープを聞くこと。母は、何年前とは説明がないが、ジェスがまだ少女だった頃に、ジェスを置いて家を出て行った。ジェスへの思いを語ったテープを残して。それに耳を傾けて母の声を聴くのが、ジェスの最大の心の支えだった。
こうした日常のシーンの中に、突然、敬虔な信者の祖父の家でのモスと、飲んだくれで口の悪い父と同居しているジェスの日常の一コマが挿入される。モスのシーンは硬質な画質、ジェスのシーンは粗雑な画質。それぞれの生活のありようを反映していると思われる。父は、ジェスに向かって、「俺のタバコを 勝手に吸うな」「いい年こいて。働いて買うんだな」と捨て台詞。彼女が、アルバイトをするでもなく、家で漫然と時を過ごしていることが分かる。これは、母のテープにあった「今日は何もすることがない。昨日やっちゃった」「だから、ぶらついてるの」「こんな小さな町じゃ、することないから」という状況と、よく似ている。
ある日、ジェスとモスは、おもちゃの銃で、壁に架かっている写真を撃っていた。しかし、2回目に、先にモスが「真ん中だ」と宣言すると、「それ、私の的だわ」。「残念でした」とモス。しかし、モスは別の行動に出た。「ジェス、何してる?」。「左端のビン」。ジェスは、モスの大事にしている苔のビンを標的にしたのだ。撃つなというのに撃ってしまったジェス。モスは怒って、ジェスに銃を向ける。「モス、私に銃を向けないで」。「ビンを撃つな」。「銃を向けるなと言ってるでしょ!」。「ビンを撃つなと言っただろ?」。その後の取っ組みあいは、体力勝負であっけなくモスの負け。組み敷かれて、屈辱的に「肘を舐めて」と迫られる。
そしてまた、日常の仲良しぶりが紹介される。①モスが、ジェスの父母の写真を見せてもらったり、逆に、②モスが、ジェスにダンスを教えたり。③一面のツタの茂みの中では、「女の子が怖いの?」。「ううん」。「女の子とは、どこまでいったの?」。「前に 1度キスした」。「それ、ヘイリー?」(後で登場)。モスが否定しても、「枕の下に、写真を置いてたりして」。「枕、調べたいの?」。
こんなに仲がいい最大の原因は、モスにとってジェスは自分の両親のことをじかに話してくれる唯一の人だから。もちろん、ジェスの話を録音して暗記するほど聞いているが、それでも、直接聞く方が好きなのだ。モスは暑がりなので、すぐに上半身裸になるが、ジェスを女性だと認識していないので、すぐにパンツだけで横になり、両親の話をせがむ。「私の両親とあんたの両親は、一番の友達だった」「毎週うちに来て、トランプをやってた」「二人は、いつもパートナー」。「二人は愛し合ってたから、だよね?」とモス。「そうよ。あんたが生まれた日は、二人の人生最良の日。とっても可愛い赤ちゃんだった。ホントよ。モス、あんた、すごく愛されてた」。すやすやと眠るモス。その顔をじっと見ているうちに、たまらなくなってモスの頬をそっと舐めるジェス。
この「片思い」のピークは、突然の雨に車庫のトラックの中に逃げ込んだ2人の間で起こる。シャツがずぶ濡れで寒いから、「見ないと約束して」とブラジャーだけになり、「体を暖め合うから近づいて」と頼むジェス。「何か、誤解してない?」。「まさか、誓うよ」とモス。その時ジェスが、「“天国での7分”にぴったりの場所ね」と言いだす。何かと訊かれ、「ティーンの男女が、クローゼットか小部屋に7分間入って、いちゃついたりキスしたり、やりたいことをするの」。「やったことあるの?」。「ええ、何回もね」(これは嘘)。その後、「私って きれい?」。「そうだよ」。「唇って柔らかいの。触ってもいいわよ」。全然気がなく触るモス。ここで2人の意識の差がはっきりする。子供のモスと大人のジェスの差。それがジェスにはがまんできない。その後、バックに流れる男性の歌曲が、ジェスの心情を表わしている。「♪なぜ、私の心を悶えさせるのだ。君は、僕の苦しみなど考えもしない。考えないし、気にかけてもいない」。
ところが、ある事件を契機に、この2人の仲は決裂してしまう。そのきっかけは、ジェスのいない時、廃屋に置いてあるスーツケースをモスがこじ開け、中にあった「モスの天国での7分」と書かれたテープを聞いてしまったこと。そのテープに録音されていたのは、かつてジェスが、モスと年下のヘイリーの2人を、「入って」「怖がらず」と倉庫に誘い入れ、「すぐ戻るから」と扉を閉めて外から閂を下ろしてしまった時の、モスの怒鳴り声とヘイリーの泣き声だった。
これを聞いて頭にきたモスは、大事にしてきた苔のビンを部屋のあちこちに投げつける。そして、廃屋の入口のブランコベンチでジェスを待ち構える。ジェスがやって来て、今夜流星群を一緒に見ようと提案するが、言下に拒否。ジェスに、「誘ったのは、あんたが哀れで一人ぼっちだからよ」と言われると、「哀れは、そっちだ。高校を中退し、ガキみたいに走り廻ってる」と言い返す。「私が 哀れ?」「これ、思い出せるかな? 車の事故なんて、なかった」。「黙れ」。「あんたは、両親に嫌われてて捨てられた」。「黙れ!!」。ここまでは、腹立ちまぎれの嘘。ここから話すモスの攻撃は事実。「捨てられたのは そっちで、僕じゃない」「いつまで バカげたスーツケースに入れ込んでる?」(母の録音テープを聞いてばかりいることを指す)。ずばり指摘されて、立ち去るジェス。
ジェスは、母のテープを聴いている。「いろいろあったわね、ジェス。あたしは一人で行くわ、道を切り開いてね。きっと、うまくいくと思う。あんたの準備もしておいたわ。でも、それに従う必要はないの。覚えておいて。あんたの人生は、あんたのもの。だから、好きなように生きればいい」。その直後に挿入される、ジェスが葉脈だけになった葉を頭に冠のようにつけている画質の粗い映像は、ジェスの解放を象徴している。
そして、さらに挿入される、ジェスとモスの最高に仲の良かった頃の映像。ノスタルジックな歌と一体になって、ジェスにとっての青春との惜別の賛歌となっている。ここは、是非とも歌詞を紹介したい。「♪鳩さんにホウホウ。タミーは恋してる。暖かい夜は気持ちいい。素敵な彼に思い焦がれる。バイオリンのように歌いたい。もし彼の腕の中にあったなら。彼に知って欲しいの。いかに憧れているか。タミーは恋してる」。タミーをジェスに、“彼”をモスに置き換えればよい。一番切なく、好きなシーンだ。
モスは、言い過ぎたと反省し、ジェスがやりたがっていた花火を、お小遣いをはたいて買い占める。一方、ジェスは、村から出て行く決心を固め、モスへの最後の伝言をテープに吹き込む。モスが廃屋に喜び勇んで駆けつけると誰もいない。テープが残っているだけだ。
自転車で村の境まで追っていくモス。頭の中には、さっき聞いた最後のテープの内容が響いている。「もし、二人がここにいて、あんたを見たら、とっても誇りに思うわ」。そして、最後に、今まで何度もジェスに答えろと言っても、バカにして相手にもしなかったジョーク、「世界一大きなソーダは?」に対する答え、「ミネソタ」が吹き込まれていた。これは、モスを一人前の男性と認めたことを意味する。その夜、モスはジェスへの想いのすべてを込めて、買った花火を打ち上げるのだった。このエンディングは、モスにとっても少年期からの決別を意味している。
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