アメリカ映画 (2014)
オーストラリアの子役エド・オクセンボールド(Ed Oxenbould)が半分主演のコメディ映画。半分と書いたのは、この映画の脚本が最悪だと感じているからだ。ジュディス・ヴィオースト(Judith Viorst)が1972年に出版した原作絵本は、主人公アレクサンダーの朝起きてから夜寝るまでの学校生活とその後の歯医者やら靴屋での買物などの余暇を含め、1日に起きる様々な失敗を途切れることなく描いたもので、それなりに意表をついていて面白い。1990年に作られたTVアニメは、ミュージカル部分が間延びしている上に、アレクサンダーの設定が「やろうとするけどコケる」というタイプではなく、「能力に欠けたダメ人間」になっていて、違和感があるばかりでなく面白みにかける(バカだから出来ないのは当たり前)。そして映画は最悪だ。そもそも主人公がアレクサンダーではなく家族全員だ。最初の2~13分の間だけは、「頭は悪くないが、なぜか失敗ばかりしてしまう」アレクサンダーを、時代設定を現代に変えて面白く描き、原作に近い(半分は、家族の余分な話が混在)。しかし、その後は、完全に「アレクサンダー以外の一家5人の、ヒドクて、ヒサンで、サイテー、サイアクな日」になってしまい、テンポもぐっと落ちる。映画が原作通りである必要は全くないが、この脚本はひどすぎる。冒頭以外の1時間は、ただのハリウッド式ドタバタ喜劇になってしまい、アレクサンダーは「ただそこにいる」だけの影の薄い傍観者。エド・オクセンボールドが可哀想だ。母親のくさい芝居も見るに耐えない。
アレクサンダーは、何をやってもうまくいかない、今朝も、①ガムを髪につけてハサミで切り落とす、②車で迎えにきてくれた彼女の前で転倒、③携帯で撮られた写真をビキニ姿に合成加工した写真が学校中に配信、④今日の誕生パーティの参加予定者ゼロ、⑤社会科の授業で取り上げる国が大好きなオーストラリアからジブチに、⑥理科の実験で彼女のノートを燃やしそれが黒板の元素表に燃え広がる。家に帰ったアレクサンダーがディスポーザーに赤ん坊の大好きなおしゃぶりを落とし、父親がそれに気付かずディスポーザーのスイッチを入れてしまう(これはアレクサンダーだけの失敗ではない)。その結果、赤ん坊が泣きやまず→明日中学で行われる演劇の主役をやる姉が屋外の車の中で台詞練習→バッテリーがあがると同時に姉が風邪をひく→母は仕事に遅れ、娘の演劇はさんざんというように、連鎖的に事態は悪化する。父も兄も巻き添えを食う。つまり、翌日は、アレクサンダー以外の家族にとって最悪の一日になる。
エド・オクセンボールドは、ハリウッド映画なのにわざわざオーストラリアから呼んだくらい役柄にぴったりである。顔立ちはキュート。「心ならずも」のドジぶりも見事。子役でこれだけコミカルにできるのはすごい。こんな脚本でなければ魅力全開だったのに。
あらすじ
いつものように、朝からアレクサンダーはトラブル続き。1つ目は、髪の毛にチューインガムを付けてしまい、どうやっても取れない。ドライヤーでも伸びるだけ。兄に「下手にいじくるな」と言われ、観念してハサミで髪を切ることに。2つ目は、姉が歯医者に行くため、父の車でなく友達の車に相乗りさせてもらうことに。大好きなベッキーがいる。ルンルン気分で歩いていって、芝生の散水栓につまずいて、見事に転倒。
3つ目は、同乗していた悪友に携帯で写真を撮られたと思ったら、ビキニのモデルの顔と合成、それを全校生徒にメール配信されてしまう。学校の廊下でみんなからクスクス笑われる。4つ目は、明日がアレクサンダーの誕生日と知っていて、1週間前倒しで誕生パーティをぶつけてきた級友。一番の親友に「君と僕だけになりそう」と言うと、「君一人じゃないかな」とつれない返事。
5つ目は、社会科の授業の「世界の国々を調べる」課題で、アレクサンダーが「オーストアリアをやらせて」「いっぱい知ってるし、ディジュリドゥって先住民の楽器も持ってます」と発言すると、「他にも希望者が大勢いるだろ」と生徒を見、誰も手をあげないと、意地悪く、地球儀を回して決めると言う。指が止まった先はジブチ。「ジ… 何?」と悲壮なアレクサンダー。生徒のやる気をそぐような教師は最悪だ。6つ目は、理科の実験で、大好きなベッキーと一緒になれたとこまではよかったが、「ホウ素0.5ミリグラム」と聞いて、「ホウ素? ホウり出そうか(Boron... Boring)」と不真面目。誕生パーティに誘って断られる、必死でセールスしるうちに実験ノートに火が点いてしまう。それが黒板に貼ってあった元素表に燃え移り先生から大目玉。
帰宅。キッチンにいる時、赤ん坊がおしゃぶりを床に落とす。アレクサンダーは、洗っていて、うっかり排水口に落としてしまう。そのまま手を入れれば届くのに道具を取りに。その間に父が切った野菜を投げ入れ、「パパ、ダメ!」と言う間もなくディスポーザーのスイッチを入れてしまう。変な音がするので、機械を止め指で探ると、壊れたおしゃぶりが出てくる。実はこの赤ちゃん、マルハナバチのおしゃぶりがないと泣き止まないのだ。家族全員が揃い夕食が始まる。食べながら、姉は明日の劇の主役のことを、兄は明日のプロムと車の免許試験のことを、母は明日の絵本の評判によっては副社長になる可能性があると、失業中の父は明日面接があると、自慢げに話す。最後に、アレクサンダーが「今日はイヤな日だった」と言い、堰を切ったように今日の悲惨な体験を並べる。「うまく行かなかったのか」と余裕たっぷりの兄貴に対し、「うまくいく?」「もう、ボロボロだよ」「しかも、今日だけじゃない。毎日なんだ」「いつも完璧なみんなには、及びもつかないだろうけど」。しかし、せっかく話しても、誰もまともにとりあってくれない。
みんなが眠った後、一人起きているアレクサンダー。12時をまわり、先生から預けられたモルモットに「僕の誕生日なんだ」と話しかける。「僕は一人ぼっち」「誰にも理解してもらえない」「ヒドクて、ヒサンで、サイテー、サイアクな日を味わわせてやりたいよ」と言って、アイスクリームに立てたロウソクを吹き消す。この願いが効き遂げられたのかどうかはわからないが、なぜか誕生日当日のアレクサンダーは幸運に恵まれた。登校すると、今日の人気パーティが、発病のため急きょ中止となったのだ。さっそくベッキーに声をかけ、色よい返事をもらって大喜び。
ここから先は、姉、兄、母、父ごとに、時系列ごとに見ていこう。まず、姉は、赤ん坊の泣き声がうるさいので、母の車の中で明日の劇の台詞読みをする。そして、寒い中で声を出し続けたことで喉を傷めてしまう。また、車のバッテリーも上がってしまい、翌朝、母が使おうとしても動かない。特に困ったのは声の方で、代役もいないし、病院でもらった“軽い”薬ではダメだと思い、薬局で強力な咳止めを買い、大量に飲む。その副作用で、ピーター・パンの劇が始まると、きわめてハイな状態となり、劇も舞台もめちゃめちゃになってしまう。犠牲者 第一号だ。
アレクサンダーと兄は寝室が同じ。誕生日の前の日、兄はプロムの相手とベッドで電話している。そうとは知らず、兄が自分に「お前はいい奴だ」(兄は、彼女に「君は、素晴らしい」と言ったつもり)と話しかけたと思い込む。「とっても愛してる」という言葉には、戸惑いつつ「僕も、愛してる」と小声で答える。しかし、兄の次の「君の可愛いお尻のこと、言わせたい?」という言葉にはびっくりして「何?」と大声を出してしまう。折角の会話を邪魔されて「お前って、ムカつく奴だな」と怒鳴る兄。それを自分に言われたと思い電話を切る彼女。翌日は災厄の日。彼女の教室まで謝りに行き、許してもらって大喜びの兄は、廊下の横断幕に飛びつくが、幕を引っ張った途端に両側に置いてあったトロフィーを入れたガラスの棚が倒れ粉微塵に。もちろん、即停学に。犠牲者 第二号だ。
母が、車のせいで遅刻して会社に着くと、そこは大騒ぎの真っ最中。今日発売の、母が責任者になっている絵本の全ページに重大な誤植が見つかったのだ。発売は差し止めたが、問題は有名人による絵本の朗読会。それを止めるべく必死で自転車を漕ぐ。しかし、タッチの差で朗読が始まってしまう(タクシーを使えば間に合ったはずだが…)。「さあ、今日は新しいことしましょ」「ジャンプさせてあげるわ」「プールにジャンプ」「ベッドにジャンプ」…となるはずが、「ウンチさせてあげるわ」「プールにウンチ」「ベッドにウンチ」…と散々だ。社長から叱咤され、「私、もう失業ね」と思ってしまう。犠牲者 第三号だ。
父はスーツにネクタイ、赤ちゃん連れで面接に。ところが、ゲーム製作会社はオフィスとは思えない自由な環境にラフな格好の若者が闊歩している。場違いな雰囲気だ。自己アピールを始めるが、赤ちゃんが緑の油性マジックを舐めてしまい、口のまわりが緑色に。後で電話しますと言われて帰される。電話はもうないと思っていたが、幸いに2度目の面接を鉄板焼の店でやろうという連絡が。勇んで出かける父。だが、調子に乗りすぎて、両袖口に火が燃え移ってしまい、店内は大騒ぎ。もうダメだと落胆する父。犠牲者 第四号だ。
兄の災難は、まだ終わっていまかった。運転免許の路上運転試験。厳しそうな中年女性の試験官。そこに彼女から電話がかかってくる。今夜のプロムの相談だ。兄は冷静に、「もちろん無視します」。しかし、試験官は「急用みたいじゃないの」と誘い水。「いいえ、運転中です。何があろうと、電話には絶対出ません。」と模範解答。「でも、プロムは毎日あるわけじゃない」ともう一度誘い水。「そうですね」「でしょ?」「すぐに切ります」。「あなたに重要なら、私にも重要」と試験官。この謎めいた言葉に注意すべきだったが、兄は電話に出てしまう。すかざず、試験官が「電話を置いて」と叱る。何と言われても絶対電話には出ないことを確かめることが“重要”な役目だったのだ。しかし、試験官にハメらと思い、動転して自損事故を起こし、車を大破させてしまう。
車の前で呆然とする一家に対し、アレクサンダーが告白する。「僕のせいだ」「すべて僕が悪いんだ」「ロウソクにお願いしたんだ、今日みんなが呪われろって」「みんなにも、ヒドクて、ヒサンで、サイテー、サイアクな日を味わって欲しかった」「だから、今そうなってる」「ホント、ごめんなさい」。そんな息子に、父は「破滅したワケじゃない。今日はまだ終わっていない」と話しかける。迷信ではなく、前向きに生きようという訓話だが、あまりにもハリウッド的な脚本だ。
そして、最後はハッピーエンド。息子の好みに合わせた“オーストラリアの動物いっぱい”の企画は大好評。ベッキーもご機嫌。母は、「ウンチ」がネットで超話題となり本が売れると胸をなでおろし、父はゲーム会社への再就職が決まる。因みに、アレクサンダーのオーストラリア好きは原作を引き継いだものだが、好きな理由は特にない。原作のオースオラリア版では、アフリカにあるマリの元・黄金郷都市トンブクトゥになっているとか。
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